【登場人物】
大葉 強子:ここあん大学の事務局員。高圧的で嫌われ役を自任する。細かいルールと実利を重んじる。
古暮 賢人:ここあん大学院生(複雑系科学M1)。些細な現象から宇宙規模の危機を妄想し、早口でまくし立てる。やや小心者。
ぺらいちまい(えんぴつ):映像制作グループの脚本担当。気取ったセリフを吐くが、実務能力と資金はゼロ。
【場面設定】
夕暮れ時のスーパー「人生」の惣菜売り場。半額シールの貼られたコロッケが一つだけ残っている。

大葉 強子:(半額シールの貼られたコロッケに手を伸ばしかけ、隣の男を一瞥する)今日も出たわね。意識高い系の若者。いつもそう!
ぺらいちまい:いつも?(前髪を指先で払い、コロッケを見つめたまま)僕のことですか。確かに、昨日もいまごろ、この場所にいましたが。
大葉:そう、昨日も一昨日もあなただったわ。腰が細くて、銀色のズボンを履いて。ろくなものを食べていないからそんなペラペラなのよ。どうせ、この半額コロッケを狙いに来たんでしょう。
ぺらいちまい:コロッケを「狙う」! なかなか攻撃的な響きだ。コロッケを「狙う」! やれやれ。僕はただ、夕暮れのスーパーに漂うサラダ油の匂いと喪失感を確かめに来ただけだというのに。
大葉:皆目、意味がわからない。だいたいその銀色のズボン、光が乱反射して目障りなのよ。昨日と同じもの? 毎日履いてるの? あなたが大学事務局の窓口に来た日には、そりゃあパソコンの画面が見えにくくなって、職員全員お手上げでしょうよ。
古暮 賢人:(買い物カゴを胸に抱え込み、怯えたように近づく)時代がかった物言いが聞こえてくると思ったら、ああ、やっぱり大葉さんだ。大葉さん、ダメですよ。その銀色のズボンを頭ごなしに否定しては。それは宇宙環境への適応進化の兆しなんです。
大葉:古暮くんじゃない。だれが時代がかってるですって? だれが、矢絣の着物を着てるですって? 違う。そうじゃないの。この、銀色のズボンが悪趣味だと指摘しただけよ。
ぺらいちまい:洗わないのかとも指摘されました。その、大奥勤めの大学職員さんに。
大葉:ふたりがかりで何よ!
古暮:いや、彼とはここで初めて会っただけです。ただ、大葉さん、違うんですよ。複雑系科学の観点から見れば、彼のボトムは、明らかな散逸構造の視覚化です。情報過多な現代社会のノイズを、あの銀色の表面で効率的に反射し、散逸させている。自らの内部のエントロピー増大を防いでいるんです。
大葉:(眉間に皺を寄せる)出たわよ、エントロピー。ここあん大学の大学院生は、そろいもそろってエントロピー。たまにエントロしないと思ったら、ゲシュタルト崩壊がどうたら。
古暮:そこまで、自分のところの学生に悪意をもたなくても。
ぺらいちまい:家来も大変だ。
古暮:家来じゃないです。学生です。
大葉:じゃ、エントロしないで話しなさいよ。
古暮:わかりましたよ。エントロペーもゲシュタロポーもしないで話しますよ。(ぺらいちまいのズボンの裾を引っ張って大葉の前に立たせる)この極端に細い腰ですけれど、これは、宇宙での無重力生活を見据え、下半身の筋肉量をあらかじめ削ぎ落とした最適化のフォルムなんです。彼は来たるべき地球脱出に向けて、自らの肉体を宇宙仕様にアップデートしている、「意識高い系」の中でも最先端の「意識高い系」個体なんですよ!
ぺらいちまい:アップデート。悪くない響きだ。考えてみれば、僕の書く脚本には、いつも重力が多すぎたのかもしれない。
大葉:ふたりとも好きに地球を脱出したらいいのよ。でも、そのコロッケだけは、私が先にカゴに入れるから。大学事務局の残業に必要なの。
古暮:大葉さん、彼にコロッケを譲ることは人類の未来への投資です。宇宙食のような無菌の完全食に依存する前に、炭水化物と脂質のカオスな結合体であるコロッケを摂取し、腸内細菌叢の多様性を維持しておくことは、防衛本能として認められるべきです。バタフライ効果によって、このコロッケ一個が彼の火星での生存確率を劇的に上げるんです!
ぺらいちまい:すなわち、そのコロッケも、意識高い系最先端個体となる。
大葉:ふん、バタフライがどうしたですって? どうせ、バタフライもエントロの仲間ね。ねえ、そこの銀色ズボン、「宇宙に行く前に、滞納している家賃を払いなさい」って大家さんに言われてない? そういう顔してるわよ。
古暮:大葉さんの悪態が止まらない。そして、目が輝いている。怖い。
大葉:銀色のズボンを履いてふらふらする暇があったら、まともに働きなさいよ。ぎんぎらしてなかったら、うちの事務局でアルバイトさせてあげてもいいのよ。
ぺらいちまい:この僕に大奥に上がれと?(コロッケのパックを指先でつまみ上げる)誰かの家来になることは自由な精神を摩耗させる。僕はこの銀色の脚で、月面を歩くように静かにレジへ向かうよ。私たちはみんなスーパーにいる。でも、その中の一握りの人間だけが、星を見上げているんだ。
古暮:え、ここでよもやの、オスカー・ワイルド?
大葉:なによ、私のどこが可愛いって?
古暮:いや、それ意味が、ゲシュタ……。
大葉:(古暮を睨む)
古暮:違います。これは、違いました。崩壊でないです。
大葉:いいわよ。崩壊する前に、私のコロッケをあの銀色男から取り返してきなさい!
(ぺらいちまいはコロッケを入れたかごを手にレジに悠然と並ぶ。大葉が血相を変えてその後を追いかけ、古暮はカゴを抱えたまま人類の未来に思いを馳せて天井を見上げる)
(幕)
作・千早亭小倉




