コント「欲望を映す鏡」

【登場人物】
古暮 賢人
:ここあん大学院生(M1)。複雑系科学専攻。常に世界の崩壊に怯え、周囲の空気を重くする小心者。
平泉 慧:ここあん大学院生(M2)。理論物理学専攻。エネルギー保存の法則を遵守し、一切の無駄を嫌う省エネ主義者。
金田 エリ:ここあん大学院生(M1)。進化心理学専攻。他者の欲望や心理を分析し、自分の利益として搾取する合理主義者。
中野 楓子:ここあん大学2年生。居酒屋「ここきた」でアルバイト中。周囲の欲望を映し増幅させる「無自覚の器」。

【場面設定】
居酒屋「ここきた」のテーブル席。古暮がネガティブな予測を長々と語り、場が重く沈んでいる。

古暮 賢人:だから、バタフライ効果によって明日の株価は暴落し、村の物流は完全に停止するんだ。僕たちはもう終わりだ。絶望の暗闇がすぐそこまで迫っている。

平泉 慧:古暮くん。あなたの発する負のエネルギーが、このテーブル周辺のエントロピーを無駄に増大させているわ。息苦しいから、発声を停止してちょうだい。

(中野楓子がジョッキを載せたお盆を持ってやってくる)

中野 楓子:お待たせしました! 生ビール三つと、名物の筑前煮です。今日も一日、お疲れ様でした!

(楓子が満面の笑みでジョッキを置く。その明るい瞳に見つめられ、古暮の表情から絶望が消え去る)

賢人:ありがとう。なんだか、君の笑顔を見ると、明日の株価なんてどうでもよくなってきたよ。世界はまだ大丈夫な気がする。

:(目を細めて楓子を観察する)興味深い現象ね。古暮くんの放出していた有害な暗いノイズが一瞬で中和されたわ。彼女、まるでアルミン酸ストロンチウムね。

賢人:アルミン酸ストロンチウム?

:ええ。従来の硫化亜鉛の十倍の輝度を持つ蓄光顔料よ。周囲の紫外線という見えないエネルギーを吸収し、暗闇の中で安全な可視光として長期間放出し続ける物質。彼女はまさに、あなたの暗い空気を吸収して、自発光でこの場を照らしているのよ。

エリ:(ジョッキを手に取り、冷笑する)平泉先輩、物理学の観点としては美しいけれど、人間観察としては致命的なエラーを起こしているわね。

:どういう意味かしら。

エリ:彼女はアルミン酸ストロンチウムのような蓄光塗料じゃないわ。光を蓄えて自ら発光するような、明確な自己主張やエネルギー源は、彼女自身の中には一切ないの。

賢人:え? じゃあ、この僕を安心させる圧倒的な明るさは何なんだ。

エリ: ただの全反射よ。彼女は無自覚の器なの。古暮くんの奥底にある「誰かに癒やされたい」という無意識の欲望を、彼女の瞳が鏡のようにそのまま反射して増幅させているだけ。あなたが勝手に、自分の都合の良い光の照り返しを浴びて、目が眩んでいるのよ。

: なるほど。自発光ではなく、入力された欲望の光束を最適化して跳ね返す、極めて高効率なリフレクターというわけね。

楓子: (空いた皿を片付けながら)あの、難しいお話の途中ですみません。追加の唐揚げ、レモン絞っちゃっても大丈夫ですか?

エリ: ほら、古暮くん。あなたのドス黒い欲望を100%全反射した可愛い女神が、きらきらした酸の雨を降らせてくれるって。感謝して浴びなさいよ。

賢人: 浴びないし、唐揚げはソース派なんだ……!

(幕)

作・千早亭小倉

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