これは、日記という名を借りた私の記憶。
ロマコメ号の助手席に乗り込む。ドライバーのUさんが、「さて、出発だ」と陽気な声を出し、エンジンをかけた。今日はUさんの最終出勤日だ。
Uさんの運転は、揺れが少なくてとても静かだ。同じドライバーのHさんの運転も上手だけれど、Hさんはいつ見ても、車をピカピカになるまで拭き上げている。対するUさんは、車を停めるとすぐに外へ出て、タイヤのまわりにある石をどけたり、ステップのそばの邪魔な雑草をしゃがんでむしったりする。Hさんは車を愛する人、Uさんは、車が走るほうへと、細やかに気を配る人だ。
今日も、移動中の車内はいつもどおり。新しく入れる本の並びや、これまでの巡回の思い出を、運転席と助手席で賑やかなくらい話した。なぜ今日で最後なのか、実は私は知らない。尋ねることもなかった。人にはそれぞれ、語らない暮らしの引き出しがある。ただ、前を向いてハンドルを握るUさんの横顔のしわが、陽の光に照らされて穏やかに見えた。
巡回先に到着すると、Uさんは真っ先に動き出した。車中で、「今日はドライバーしかやらなくていい?」と言っていたのに、重いコンテナを率先して下ろし、テントの設営を済ませると、返却される本の受け付け準備を始めた。
その日は、不思議なほど賑やかな一日だった。学校帰りの子どもたちが砂を蹴って走り込んできたかと思えば、少しはにかんだ中学生や、「あっ、図書館車だ」と自転車を停めた高校生たちもやって来た。買い物帰りの元気なおかあさん、寝間着姿のおとうさん、ゆっくりと杖をつくおばあさん。まるであらかじめ約束していたかのように、いろいろな世代の利用者さんが、代わる代わるハッチの前に集まった。
子どもは地面にしゃがみ込んで図鑑を開き、高校生は棚の陰で熱心に小説を選び、おばあさんはUさんと楽しそうに言葉を交わしている。それぞれが、心地よい距離を保ちながら、自分の時間を過ごしている。「居場所」と言葉にするのは簡単だけれど、なぜ「居場所」なのかを説明するのは難しい。でも、それは「居場所」だった。
その真ん中で、Uさんの声が響く。「これ、面白いよ」「10冊まで借りられるよ」「気をつけて帰ってね」相手が誰であっても、Uさんの声は同じように明るく、真っ直ぐに届く。図書館車のまわりの空気が、その声でふわりと軽くなる。その場を一瞬で元気にする「声」の響きは、ひとつの美しい才能だ。
宮沢賢治の『風の又三郎』を思い出した。風のように現れて、子どもたちの中に自然に溶け込み、元気な風を巻き起こして、そしてまた静かに去っていく、あの不思議な少年。去っていくあの背中に、私たちは余計な感傷を押しつける必要はない。ただ、通り抜けていく気持ちのいい風を、静かにねぎらうだけだ。
片付けを終え、ロマコメ号のハッチを閉めると、パチンと乾いた金属音が響いた。
「おつかれさまでした」
私がゆっくりと言うと、Uさんは「ありがとうございました」と、いつも通りの元気な声で笑った。
これは、日記という名を借りた私の記憶。


