【登場人物】
恋流波 陽:ここあん大学の学生。飄々としているが根は理屈っぽい。
恋流波 東彦:陽の父。観察するポンコツ。息子が自分に敬語を使うことに少し距離を感じている。
渡良瀬 愛子:居酒屋「ここきた」のママ。愛称ラブちゃん。東彦の不器用な青春時代をよく知る。
【場面設定】
夜。居酒屋「ここきた」の店内。東彦がカウンター席に座っている。東彦が、「縦の糸はあなた〜、横の糸は〜」と中島みゆきの「糸」を歌っている。そこへ、息子の陽がトイレから戻ってくる。愛子からおしぼりを受け取る。

恋流波陽:父さん、その歌好きですよね。
恋流波東彦:あ? ああ。この歌に、「縦の糸」「横の糸」って出てくるだろう。あれは、世界地図なんかの経度と緯度の「経」と「緯」の字を使うんだぞ。
陽:え、それで好きってわけじゃないでしょう?
東彦:あ? ああ。「軽度」の「経」で経糸、「緯度」の「緯」で緯糸だな。
陽:(何か言いたそうだが、黙って、ホッピーを飲む)
東彦:経緯って言うだろ? 縦横に交わって布ができる様子から、物事の入り組んだ事情や過程を表す言葉へと変化したんだな。知らんけど。
陽:ずいぶんと理屈っぽく解釈するんですね。
東彦:あ? 言葉の成り立ちを説明しただけだ。それよりお前、その敬語はどうにかならんのか?
陽:子どもの頃からこれで定着していますから。変えられないんですよ。
東彦:可愛げがない。まあ、私も若いころはそうだったかもしれないが。あ(何か気付いたような顔で)トイレに行ってくる。許してちょんまげ。
(東彦、席を立ち、店の奥へ向かう。愛子が陽に近づいてくる)
東彦:いま、「あ」って言いましたよね。
愛子:(それには応えず、東彦を目で追いながら)ねえ、陽くん。お父さんがなんであの歌にこだわるか、知ってる?
(愛子、カウンターを布巾で拭きながら陽に顔を向ける)
陽:え、やっぱりこだわってるんですか? 何か理由があるんですか?
愛子:昔ね、お父さん、ラジオに自作の詩を投稿して読まれたことがあるのよ。そんなコーナーがあったんでしょうね。で、それが「縦の糸と横の糸が自分と相手の心だ」みたいな熱いポエムだったわけ。ええとね、たしか、ニッポン放送の、愛川欽也さんの番組だったかしら。
陽:あの堅物の父さんが、ポエムですか?
(東彦、店の奥から上機嫌で別の歌を歌いながら戻ってくる)
東彦:解決マンが空を飛ぶ、解決マンが空を行く。
陽:父さん、事の「経緯」は愛子ママから聞きました。
東彦:なんだ、ラブちゃん、余計なことを。そんな昔の話はとっくに忘れたよ、おしょしい。
(東彦、再びカウンター席に座る。愛子からおしぼりを受け取る)
愛子:確か、愛川欽也さんのニッポン放送の番組よね。
東彦:ちがーう。ニッポン放送じゃない。文化放送だ。
愛子:あら、そうだった?(気にしていない)
東彦:ディスクジョッキーもキンキンじゃない。番組は、『ささきいさおのペパーミントストリート青春大通り』。そして、私の詩を朗読してくれたのは、人気声優だった麻上洋子さんだ。(どうだまいったかという顔)
愛子:あらあら、忘れたなんて言いながら、ずいぶんと細かく覚えているわねえ。
陽:完全に記憶に刻み込まれていますね、「経緯」が。
(陽、手元のホッピーを飲む)
陽:ところで父さん。さっき歌いながら戻ってきた「解決マン」って何ですか?
東彦:あ? ああ。これこそ、ニッポン放送でやってた『ラジオ劇画 愛川欽也の立川文庫』で流れてた曲だ。
陽:愛子ママも半分は合ってたわけだ。
愛子:というか、東彦さん、頭の中で混ざっちゃってるんじゃないの?
(陽、スマホで何か調べている)
東彦:あ? いいか陽、この辺りのラジオ番組の歴史は複雑なんだ。経緯を覚えておけよ、中間試験に出るぞ。
陽:出ないですよ。
愛子:出ないわよねえ。
(陽がスマホをカウンターに置く)
陽:父さん、解決マンじゃなくて、豪傑マンでした。歌詞もあるので、答え合わせしますか?
東彦:おとなげないやつだ。
愛子:東彦さん、言葉の使い方が雑。
(幕)
作・千早亭小倉
![[公式]千早亭小倉の世界 | ここあん村案内所](https://atelier-cocoan.com/wp-content/uploads/2026/04/20260410_125128.jpg)




