かんたは小さな移動図書館車。
これは、かんたが、大きなお母さん図書館車と一緒に走っていたときの話。
乾いた風が吹く、日差しの強い道。前を走るお母さん図書館車が、独り言のようにつぶやいた。
「昔ね、どうしても本を届けたい村があったの」
お母さんは、若かった頃の話を始めた。
それは、山に囲まれた、石垣ばかりが目立つ、小さな村だったという。子どもたちはいたけれど、誰も本に興味を示さなかった。物語なんて、腹の足しにもならない石ころみたいなものだと、大人たちが決めつけていたから。
でも、まだ若かったお母さんは、信じていた。物語の力を。
この子たちにも、きっと素晴らしい世界を届けられるはずだ、と。
その強い思いは、いつしか「届けなければならない」という使命感に変わっていた。
その村には、ひときわ頑なな少年がいた。
お母さんが差し出す絵本を、いつも突き返してくる少年。その瞳には、大人たちと同じ、物語への冷たい光が宿っていた。
お母さんは、意地になった。この子にこそ、届けたい。この子さえ振り向かせれば、この村は変わるはずだ、と。それはもう、少年のためというよりも、物語の正しさを認めさせるたいという、お母さん自身の渇望だったのかもしれない。
ある日、お母さんは、一冊の本を少年の手に半ば押し付けた。
「いいから、読んでみて。きっと、好きになるから」
善意だった。純粋な、疑いようのない善意だと、そのときは信じていた。
少年は何も言わず、その本を受け取った。お母さんは、勝利を確信した。
次に村を訪れたとき、広場に黒い煙が上がっていた。
中心にいたのは、あの少年だった。
彼の足元には、燃え盛る本の山があった。かん高い声で、少年は村の子どもたちに叫んでいた。
「こんなもの、嘘っぱっちだ! こんなものがあるから、俺たちは貧乏なんだ!」
お母さんがあげた本も、その炎の中でページを黒くして丸まっていた。
お母さんの善意は、村の子どもたちの心に眠っていた物語への不信と憎しみに、火をつけただけだった。良かれと思ってしたことが、村から物語を永遠に葬り去る儀式の、きっかけになってしまったのだ 。
お母さんは、それきり、二度とその村へは行けなかった。
行かなかったのではない。行けなかったのだ。
「あの子は、本当に本が嫌いだったのかしら。それとも、私に構われるのが嫌だったのかしら。今となっては、もうわからない。わからないまま」
お母さんは、かんたのほうには振り返ることなく、淡々とそう言った。その声には、後悔も、教えも含まれていなかった。ただ、消えない傷跡を指でなぞるような、乾いた響きだけがあった。
「だからね、かんた」
お母さんは続けた。
「届けるということは、とても怖いことなのよ。私たちの積んでいるこの物語は、時に心を温め、時に心を焼き殺す炎にもなるのだから」
かんたは、何も答えられなかった。
前を走るお母さんの大きな車体が、なんだかとても小さく見えた。
かんたの体の中にある、たくさんの物語が、急にずしりと重くなった。それは誇らしい重さではなく、ただ冷たくて、どう扱えばいいのかわからない、鉄の塊のような重さだった。
おしまい
作・中野文




