第20話「エラーとリセット」

太陽が、雲に隠れた。

部室の空気は、今までで一番、重く、そして冷たく、僕らの間に沈んでいった。

天野さんの「嫌いだな」という一言は、短いナイフのように、僕の胸に突き刺さったまま抜けない。僕の異常性は、またしても人間を描くことに失敗した。それ以上に、仲間を傷つけてしまった。

どうすればいい?

謝るべきか?

だが、何に対して?

彼女の心を、僕の歪んだレンズで覗き込んだことにか? それは、僕という存在そのものを否定することに等しい。

思考が、完全に停止する。

僕が凍りついている間、天野さんは俯いたまま、指先でスカートの裾を固く握りしめている。黒崎部長は、この気まずい沈黙すらも批評の対象であるかのように、冷たい目で僕と天野さんを交互に見ている。

この汚泥のような膠着状態を、破壊したのは、最も予測不能な一撃だった。

「――現行のワークフローは、非効率的だ。フィードバックループが、致命的なエラーを発生させている」

静かに、しかし有無を言わさぬ響きで、部屋の隅から声がした。

堂島だった。

彼は、いつものように本に目を落としたまま、この場の感情的なもつれを、まるでシステム障害の報告書でも読み上げるかのように、淡々と分析し始めた。

「仮説の構築、および被験体の観察までは、計画通りに進んだ。だが、仮説を基にした小説プロダクトが、被験体本人からの拒絶リジェクトを受けた。これは、分析レイヤーと、被験者の持つ経験レイヤーの間に、根本的な非互換性が存在することを示唆している。これ以上の続行は、さらなるエラーを誘発するだけだ。プロジェクトは、デッドロック状態にある」

デッドロック。

彼の無機質な言葉は、この場のどうしようもない状況を、的確に表現していた。

天野さんが、わずかに顔を上げて堂島を見ている。彼女にとって、自分の悲しみや怒りが「エラー」や「非互換性」という言葉で定義されるのは、想像もつかない体験だろう。

黒崎部長は、堂島の分析に、静かに耳を傾けていた。そして、僕が予想していたような、僕への罵倒も、天野さんへの嘲笑も、彼女の口からは出てこなかった。

代わりに、彼女は、まるで故障した機械をリセットするかのように、冷徹な決断を下した。

「一樹」

彼女は、まず僕を見た。

「君の分析モデルは、被験体からのリジェクトによって、その有効性を完全に否定された。つまり、失敗だ」

ぐ、と喉が詰まる。その通りだった。

「そして、バスケ部」

次に、彼女の視線が、天野さんを射抜いた。

「君は、彼の文章を『嫌い』と言ったな。ならば――」

彼女は、机の上に置いてあった未使用の大学ノートと、ペン立てから抜き取ったボールペンを掴むと、天野さんの目の前に、叩きつけるように置いた。

「――君が書け」

「えっ⁉」

天野さんが、素っ頓狂な声を上げた。僕も、耳を疑った。

「わ、わたしが⁉ む、無理だよ、文章なんて」

「関係ない」

黒崎部長は、天野さんの抗議を、バッサリと切り捨てた。

「君は、彼の分析を『違う』と断じた。ならば、君には、何が『正しい』のかを証明する義務がある。君の言う『元気が出たから笑った』という、その単純な真実とやらを、我々にも理解できる形で提示してみせろ。口先だけで否定するなら、猿でもできる」

それは、あまりにも理不尽で、あまりにも的確な命令だった。

天野さんの「共感」という武器は、今、彼女自身に「表現」という重い責任を突きつけている。

「さあ、書け。君の言う、本物の『幸福』とやらを。それができなければ、君の言葉は、ただの感傷的な戯言だったということになる。……それで、いいのか?」

部長の最後の問いに、天野さんは唇を固く結び、何も言い返せなかった。

僕の失敗から始まった汚泥の川は、僕が一人で渡るのではなく、今、全く予想もしていなかった仲間を、道連れにしようとしていた。

僕の目の前で、物語の設計図の一部だっただけの彼女が、無理やり、新たな書き手として、舞台に引きずり出されていく。

僕の異常な観測眼が、新たな、そしてさらに混沌とした化学反応の、引き金を引いてしまった。

部屋の隅で、堂島が静かにペンを走らせる音が、聞こえたような気がした。

彼が観測しているのは、もはや僕の書く物語ではない。僕ら自身が、知らず知らずのうちに演じさせられている、この奇妙で歪な創作という名の、物語そのものだったのかもしれない。

(第21話へ続く)

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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