箱庭小説|番外編001. 遠心力と赤い抜け殻|二つ目の落語家と代弾きピアニストの恋

伸び悩む落語家・酔酔亭馬楼と、代弾きピアニスト・糠森ひな。中編『二つ目の落語家と代弾きピアニストの恋』で二人が別々の道を歩み出す前の、不器用で愛おしい日常を切り取ったショートスケッチ集。

自販機のコンプレッサーが時折、不機嫌そうな唸りを上げる以外、世界は回転するドラムの音だけに塗り潰されていた。乾燥機の排気口から漏れ出る、熱せられた綿埃の匂いが、深夜のコインランドリーの空気を重く塞いでいる。お決まりのムワッ。窓の外の小雨がこれに重なる。

「見てみろよ、ひな。あの赤いのが、俺のオーバーオールだ」

馬楼が、ガラス越しの渦を指差す。その指先には、ネタ帳に書き殴った時に付いたであろう、安いボールペンのインク染みがついている。

「見なくてもわかります。この中で、あんな血圧の上がりそうな色をしてるのは、あなたの抜け殻だけですから」

ひなは、読みかけの文庫本から目を離さずに答えた。ベンチの硬さが、薄いワンピース越しに腰の骨に響く。

「違うんだよ。リズムだ。ほら、グワン、グワン、って回るだろ? で、時々、バサッて落ちる。あの『間』だよ。落ちそうで落ちない、あの溜め。あれが江戸の粋ってもんだ」

「ただの遠心力と重力の綱引きです」

「夢がねえなあ。あいつは今、熱風に煽られながら、重力と戦う孤高の踊り子なんだぜ?」

「ダンサーは、あんなにくしゃくしゃになりません」

馬楼はふんと鼻を鳴らすと、自販機で買ったぬるい缶コーヒーを啜った。

ひなは本を閉じる。視線を上げると、確かにその赤い布切れは、ドラムの中で揉まれ、叩きつけられ、それでもガラスに張り付くまいと必死に舞っているように見えなくもない。

ひなの指先が、無意識に膝の上で動く。三拍子。いや、変拍子か。不規則なドラムの回転に合わせて、指が鍵盤を探す。

「……ちょっとだけ、遅れてる」

「あん?」

「落ちるタイミング。あとコンマ数秒、早いほうが気持ちいい」

「おっ、厳しいねえ。さすが代弾き、リズムの鬼」

馬楼がニカっと笑う。その笑顔が、蛍光灯の下でやけに無防備に見えた。

ひなは、「うるさい」と短く返し、また本を開いた。文字を目で追いながら、耳だけは、あの不器用な赤い布が刻む、調子外れのリズムを拾い続けていた。

了

作・千早亭小倉

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[コント台本・掌編 約600本]

主な舞台は、椎名町三丁目から広がる箱庭「ここあん村」。箱庭コント作家・千早亭小倉の手による、どこか懐かしい日常劇やクスッと笑えるコメディ、沁みる掌編を絶賛公開中です。これからも「読むシットコム」の世界を追究していきます。
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