これは、日記という名を借りた私の記憶。
巡回先の広場にロマコメ号を停め、設営を済ませる。いつもの利用者さんとのやり取り。返却された本を入れるコンテナを整理する。利用者の姿がいったん途切れる。必ずといっていいほど訪れる、この一瞬が好きだ。
ひと息つく。広場の隅、コンクリートの段差に腰掛けている、小学生の男の子に目が止まる。ロマコメ号のハッチの加減を確認し、彼のほうに歩み寄って、隣に腰を下ろした。
「千夏ちゃん、これさ、リスポーン地点の判定が狭すぎて、すぐ壁に埋まるんだよ」
小さな機械の画面が突き出される。11歳。2回に1回は、顔を見せてくれる。いや、ロマコメ号が来る前から来ているから、彼の遊び場に私たちがおじゃましているのだ。ゲーム好き。指先が目にも留まらない速さで板の上を叩き、かすかな電子音が規則正しく鳴り響く。
彼が口にする言葉は、耳に馴染まないものが多い。手の中に収まった見えないルールや、数値を効率よく稼ぐための仕組みについて、彼はとても熱心に話してくれる。彼の横顔を眺め、うんうんと相槌を打ち、時折、「ふーん」「そうなんだ」と声にする。
画面の中の理屈に、私の言葉はどうしても追いつかない。二人の間に、薄い紙が一枚挟まったような、もどかしさがある。でも、彼は、それを気にする様子もなく、ゲームの切れ目切れ目で笑顔を見せてくれる。
気まぐれだった。私は立ち上がり、スニーカーの先で、足元の地面をがりがりと削った。乾いた土と砂利を押し分け、適当な大きさの丸をひとつ描く。
「ねえ、立ってみて」
彼が不思議そうに顔を上げた。
「押し相撲しよ。線から出たら負け」
彼は少し面食らったようだったけれど、ゲーム機をベンチに置くと、枠の中に入って来た。手のひらを胸の高さで合わせる。ぺたりと触れ合った子どもの掌は、思ったより小さく、柔らかく、じんわりとした温もりがあった。
「はっけよい」
私の合図とともに、互いの手のひらに体重が乗る。手加減はしないけれど、むきになって倒しにいくわけでもない。掌越しに伝わってくる相手の重心の揺らぎや、砂利を踏みしめる靴底の確かな重みを、そのまま受け止める。押し返され、私の踵が土を削り、彼もまた息を詰めて踏ん張る。ただそれだけの、たわいもない運動。
画面の中の計算された座標ではなく、身体の重みそのものがぶつかり合う感覚に、本棚の隅にあるロジェ・カイヨワの『遊びと人間』が頭をよぎった。
「あ、千夏ちゃんが相撲取ってる!」
いつの間にか、近くで遊んでいた子どもたちが3、4人、駆け寄ってきて輪を取り囲んでいた。
「そこだって、押せって!」
「関取、負けるな!」
誰かが叫んだ「関取」という言葉に笑いが起こる。眼の前の男の子もふっと笑い、力を緩めた。それを狙って、私は手のひらを少しだけ強めに押し返し、彼の足の片方が丸の外へぽんとはみ出した。
「負けー」
「千夏ちゃん、強いじゃん。関取っていうより、親分?」
「親分じゃないよ、親方だよ」
まわりを取り囲んでいた子どもたちからさまざまな言葉がいっせいに飛び交い、みんなで顔を見合わせて笑った。
「千夏ちゃん、俺とも、俺とも」
別の子の言葉に、「親方は、見てるの」と言って、円を出る。よく来られる利用者の顔が見えたので、それをきっかけにロマコメ号に戻ることにした。
「えー、ずるーい」
そんな声を聞きつつ、すぐに別の「取り組み」が始まったのを、背中に感じる。
受付に座り、子どもたちのほうに目をやる。『遊びと人間』が再び頭をよぎる。決まりごとで囲われた世界の外側に、生身の体がふらつく瞬間があることを、あの本は静かに教えてくれていた気がする。
これは、日記という名を借りた私の記憶。



