コント「乗車権の剰余と十円玉のドラマ」

【登場人物】
氷上 静:ここあん大学哲学科講師。理性の信奉者。世界のすべてを論理で解体しようとする。
恋流波 陽(ハル):ここあん大学の学生。飄々とした態度で、静の論理の隙間に無邪気に入っていく。

【場面設定】
ここあん鉄道の駅、改札前の券売機。 電車の発車時刻が迫る中、ハルが硬貨で切符を買おうとしている。静は少し離れた場所で、その様子を腕を組んで見つめている。

(チャリン、チャリンと、硬貨が券売機に落ちる音が規則正しく響く)

氷上静:ハル。あなたのその、金属片による物理的な等価交換の儀式は、あとどれくらいで完了するのかしら。

恋流波陽:あ、もう少しです。静さん、待たせてすみません。でも、見てくださいよ。この十円玉たち、一枚一枚錆び方や傷の付き方が違うんです。色んな時代を渡り歩いてきた苦労が顔に出ているっていうか。ICカードの電子音には、このドラマがないんですよね。

:硬貨の摩耗に物語を読み取るのは個人の自由だけれど、もうすぐ私たちの乗る電車がホームに入ってくるという物理的な事実は覆らない。

ハル:やばい。あと40円。あれ、小銭が。

(ハルが財布の中身を探る。券売機の投入金額の表示が点滅している。改札の向こうから、電車が接近するアナウンスが聞こえてくる)

ハル:静さん、先に行っててください。僕、次の列車で追いかけますから。

:(短くため息をつき)私のスケジュールにノイズを入れるのはやめて。これを使いなさい。

(静は自身の財布から薄い紙の束を取り出し、そのうちの一枚を切り離してハルに差し出す)

ハル:え……これ、回数券ですか?

:そう。あと、ここあん鉄道は列車ではない。VVVFインバータを搭載した立派な電車。

ハル:(列車か電車かには興味がないようで)静さん、ICカードじゃないんですね。なんだか意外です。スマホとかでピッて改札を通るのかと。「移動を定義するわ」とか言って。

:交通系ICカードのような、見えないデータによって自分の行動履歴を中央集権的なシステムに掌握されることを、私は拒絶している。それに、10回分の対価で11回目の乗車権を得るという、システムに生じた物理的な「剰余」を、紙片として所有し管理することには、明確な合理性がある。

ハル:相変わらず、理屈のスケールが……(言葉が浮かばない)。でも、助かります。ありがとうございます。

(ハルは回数券を受け取る。しかし、それを、まじまじと見つめ、なかなか改札機に通そうとしない)

:ハル、ねえハル?

ハル:(聞いていない)でも、なんか嬉しいな。静さんの持っている11回のうちの1回を、僕が共有できたみたいで。

:あなたのその、安易な意味づけの癖は直したほうがいい。ただの乗車券。早く通りなさい。

ハル:決めました。僕、これを使わずに記念に取っておきますね。静さんからの初めてのプレゼントだし。

:(怪訝な顔をして)……は?

ハル:これを使っちゃうと、せっかくの繋がりが降りる駅の改札で回収されて無くなっちゃう気がして。お守りとして財布に入れておきます。だから、やっぱり小銭で切符買ってきますね。

:待て。乗車券は移動という目的を果たすための物理的対価であって、コレクション用の紙切れではない。それを使用せずに保存することは、私が支払った運賃の価値を無化する、極めて非合理的な行為だ。

ハル:でも、僕の感情の価値は上がりますよ。出典は、ロマン主義です。

:その、あなたの中にしか存在しないロマン主義のせいで、電車は完全に出発したようだが。

(二人の横を、発車した電車の走行音が通り過ぎていく。券売機もタイムアウトを知らせる電子音が響き、それまで投じていた小銭が出てくる)

ハル:……あ。

:次から、あなたとの待ち合わせは現地集合にしましょう。

(静はハルを残し、ひとりで改札を抜けようとする)

ハル:だから、先に行ってって。

:この時間的ロスの元を取る自信はあるのよね。

ハル:えっと、お菓子食べますか?

(幕)

作・千早亭小倉

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