箱庭コント333「開かずの文庫本」|はるなつコントシリーズ

【登場人物】
はるひこ:10歳の長男。左利き。屁理屈が過ぎるときがある。
みちこ:母親。専業主婦。口数が少ない。いつもくたびれている。
なつひこ:5歳の次男。言葉は話さず、耳元で指をこすり合わせる。

【場面設定】
昭和40年代後半。夕暮れ。小田急線・成城学園前駅近くの開かずの踏切前。遮断機が下りたまま、けたたましい警報機がカンカンと鳴り続けている。みちこがなつひこと手をつなぎ、もう片方の手に買い物かごを下げている。はるひこは線路脇の柵に背中を預け、分厚い文庫本を開いている。

みちこ:(遮断機を見つめたまま)いつ開くのかしら。

はるひこ:(手にした分厚い文庫本をめくりながら鼻歌)上り、下りの舟人が〜。

みちこ:はる、こんな薄暗いところで、また国語辞典読んでるの?

はるひこ:違うよ、『赤と黒』だよ。

みちこ:また、新しい本? 『広辞苑』読めばいいじゃないの。

はるひこ:あれは重すぎるよ。電車にも持って乗れないし、字は小さいし。

みちこ:お父さんにせっかく買ってもらったのに。辞書なんてどれも同じでしょう?

はるひこ:お母さんも見たでしょう? あれは、膝に乗せると足がしびれるんだよ。文庫本はランドセルにも入るもん。

みちこ:で、その『赤と黒』は面白いの?

はるひこ:そんなのわからないよ。知らない言葉ばかりだから。

みちこ:それなのに持ち歩いてるの?

はるひこ:意味はさっぱりわからないけど、半分くらいまで来た。

みちこ:めくってるだけでしょう? あんた前もそうやって、途中で放り出してたじゃない。

はるひこ:あ、『新書太閤記』のこと? だって、テレビでやってたのが面白かったんだもん。

みちこ:あんたまさか、ドラマになると本を買ってるの?

はるひこ:『木枯らし紋次郎』は失敗した。お正月に見た「かくし芸大会」で面白かったから買ったんだけど。

みちこ:(ため息)あの、井上順が出てたやつね。失敗っていうか、あんたが悪いんじゃない。

はるひこ:だから、いまは厚い本を選んでるんだ。

みちこ:厚い本?

はるひこ:本はみんな面白いから、厚いとそれだけ面白いんだよ。

みちこ:面白いんだよって、そんなわけないでしょう。

はるひこ:あるよ。ページがたくさんあれば、面白さがそれだけいっぱい入ってるってことだし。薄い本だと、すぐ終わっちゃってもったいないもん。

みちこ:それならお父さんの部屋にある本も面白いから読んでみなさいよ。

はるひこ:広辞苑より重い本はエンリョしておきます。

みちこ:まったく、いい加減なんだから。

なつひこ:(耳元で親指と中指をこすり合わせる)らっら、らっら。

はるひこ:広辞苑は持っただけで腕が棒になりますからね。 

みちこ:ほら、電車が来るから、少し下がりなさい。

(けたたましい警報音が鳴り響く中、目の前をごうごうと電車が通り過ぎていき、風が三人の服の裾を大きく揺らす)

なつひこ:だっ!

(電車が通り過ぎても、遮断機は上がらない)

はるひこ:『赤と黒』って、ジュリアン・ソレルって人が出てくるんだよ。

みちこ:知らないわよ。もう、読める本にしなさい。

(幕)

作・千早亭小倉


地層0を支えるものがたりやコント
恋流波家の系譜――舞台は昭和40年代後半の世田谷区成城ここあん村の物語につながる最も古い基層となる、1970年代の物語です。舞台は、高度経済成長期の残り香が漂う、世田谷区成城・砧が中心です。ここあん村の重要人物(?)恋流波陽の父、東彦の少年…

[コント台本・掌編 約600本]

主な舞台は、椎名町三丁目から広がる箱庭「ここあん村」。箱庭コント作家・千早亭小倉の手による、どこか懐かしい日常劇やクスッと笑えるコメディ、沁みる掌編を絶賛公開中です。これからも「読むシットコム」の世界を追究していきます。
*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI. *引用の範囲を超える無断転載・複製を禁じます。 Copyright © 2025-2026 千早亭小倉|箱庭コントを紡ぐ 話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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