【登場人物】
おはぎはん:22歳。フリーライター兼劇団員。泥跳ねのスニーカーと大荷物を抱え、現場取材と空腹に追われる生活感の塊。相手の懐へ遠慮なく踏み込む。
ショパン:ここあん高校に通う16歳。仕立てのよい上着を着た小太りの少年。物事の調和や秩序を愛するが、どこか世間擦れしていない。
【場面設定】
ケーキ屋「タンバリン」の店先にある木製ベンチ。晩秋の夕暮れ。冷え込む空気の中、向かいの街灯が白く灯り始めている。

ショパン:(ぶつぶつ)ううん、どうしてもうまくいかないな。
(ショパンが、膝の上にケーキ箱を置き、解かれた細いリボンを両手で持ち、交差させようとしては指を止める)
おはぎはん:(ショパンの手元を覗き込む)何をしとるん、さっきから。
ショパン:結び直しているんだよ。家に着くまで待てなくて、ベンチでひとつ食べてしまったからね。
おはぎはん:それなら、すぐそこの扉開けて(親指で背後のケーキ屋のガラス戸を指す)、丹波りんに縛り直してもらえばええやない。店の人に頼んだら一瞬やろ。
ショパン:それはできない相談だよ。誘惑に負けて開けたのは僕の過失だ。店主の手を煩わせるのは筋が通らないし、自らの手で元の美しい状態に戻してこそ完結するんだ。
おはぎはん:「店主」? 格好つけてんと、さっさと店に入ったらええ。この、(やや芝居がかり)「寒風吹きすさぶ」中で何をつまらん意地張っとるんや。
(おはぎはんが、冷えた指先を上着のポケットに突っ込み、肩をすぼめる)
ショパン:意地じゃない、筋道さ。ただ、気温のせいで指先の感覚が鈍くなってて、輪の大きさが揃わないんだ。
おはぎはん:ああ、もう、見てられへん。貸してみい!
(おはぎはんが無遠慮にショパンの前に両手を割り込ませる)
ショパン:あ、勝手に触らないでくれ。僕なりの手順があるんだ。
(ショパン、箱を抱え込もうとするが、おはぎはんの勢いに押されて身を引く)
おはぎはん:ええから、ここに人差し指をぐっと当てて!
(おはぎはんが、ショパンの手首を掴み、その指先をリボンの交差点に強く押し当てる)
ショパン:ちょっと、力加減というものがあるだろう。
おはぎはん:緩めんように体重乗せとき。そこさえ押さえといてくれたら、あとはこっちでぎゅっと締めるから。
(身を乗り出し、太い結び目を一気に作り上げる)
ショパン:(おはぎはんに向かって)近いよ。それに箱の横が少し凹んでいるじゃないか。
(互いの鼻先に触れそうな距離に、相手の顔がある)
おはぎはん:よし、縛れた!
(リボンの輪を指でピンと弾き、満足そうに腕を組む)
ショパン:右側の輪が大きすぎるよ。結び目も中央から二つ分くらい右に寄っている。
(ショパンが、歪んだリボンを見て、眉をひそめながら指を離す。同時におはぎはんのお腹が「ぐうううっ」と鳴る)
おはぎはん:失礼。せやけどな、箱が開かんと持ち帰れたらそれで十分やろ。飾りなんて胃袋には入らんねんから。
ショパン:美意識の問題だよ。箱を開ける前の期待値も計算に含まれているんだ。
おはぎはん:はいはい、屁理屈はええから。ほら、これ食べ。
(鞄の底から銀紙に包まれた平たい焼き菓子を取り出し、ショパンの膝の上に置く)
ショパン:僕は空腹じゃないよ。さっきケーキを食べたばかりだと言ったはずだ。
(膝の上の包みを指先で押し戻そうとする)
おはぎはん:半分こや。寒空の下で一緒に半分こしたら、別腹でなんぼでも入るわ。ほら、割って!
(包みを破いて真っ二つにし、大きい方を無理やりショパンの手のひらに握らせる)
ショパン:半分こなら入るだなんて、どんな栄養学の法則だい。
おはぎはん:生活の知恵や。ほなな、風邪ひかんうちに早よ帰りや。
(おはぎはん、鞄の紐を肩にかけ、大股で暮れかけた通りへと歩き出す。遠ざかるその背中を見送り、手元の焼き菓子を小さく一口かじるショパン)
ショパン:なんなんだよ、あの人は。全然、筋が通ってない。大人なのに。(もう片方の手で、右に大きく曲がったリボンの結び目をこする)うわっ、固い。ほどけないよ。
おはぎはん:(遠くから、おはぎはんの声)はさみ、はさみ使いや、意地張らんとな。
ショパン:(諦観めいたため息)やっぱり、全然筋が通ってない。(結び目をもう一度こする)
(幕)
作・千早亭小倉




