過去なんて思い出すもんじゃないよ……って、あれ? ひとつ前に似たようなコントをつくったような気が。てへ
【登場人物】
えんぴつ(ぺらいちまい):映像制作グループのアナログな脚本担当。実務能力ゼロのハルキスト。
はさみ(とりみんこ):映像制作グループの編集担当。男たちの重い自意識を冷酷に切り捨てる、スマホ世代の残酷な救済者。
【場面設定】
椎名町三丁目のものがたり屋。カウンターに広げたノートPCで、ハサミとえんぴつが自分たちの動画をチェックしている。

えんぴつ:やれやれ。そこのカット、なぜ切ったんだ。主人公が空を見上げる2秒間にこそ、喪失の重みがある。
ハサミ:(マウスをクリックする)開始5秒で空を見上げられたら、視聴者はスワイプする。喪失の重みより、エンゲージメント率の低下のほうが重い。
えんぴつ:ハサミはいつも僕の意図を削ぎ落とす。大学時代の映画サークルでもそうだ。僕が部室のクーラーの設定温度を巡って、表現の自由と資本主義の対立について演説した時も、君はスマホを見ていた。
ハサミ:26℃の設定を24℃にしろってえんぴつが3日間ストライキした、たった2℃事件ね。あれのどこが資本主義との対立なの。ただの時間の無駄遣い。
えんぴつ:あれは体制への反逆だ。僕は正しいことを主張した。あの揉め事で、サークル内に確かな思想の嵐が吹き荒れたはずだ。
ハサミ:吹き荒れたのは冷房の風だけ。先輩たち、裏であなたのことを「温度計のテロリスト」って呼んでた。
えんぴつ:(腕を組む)テロリスト。悪くない響きだ。それはつまり、僕の正義が彼らを脅かし、畏怖させていたという証拠だ。
はさみ:(画面から目を離さずにキーボードを叩く)脅かしてない。どっちかっていうと、アイエフのIFのほうよ。もし関わったとしたら面倒くさそうだなって。
えんぴつ:仮定法過去か。
ハサミ:知らないわよ。だからその後の打ち上げも、あなただけ呼ばれてなかったでしょ。
えんぴつ:それは僕があえて群れることを拒否したからだ。孤高の表現者として、生ぬるい馴れ合いを軽蔑していた。
ハサミ:違う。みんなが、あいつを呼ぶと面倒くさいからって、あなた抜きの新しいグループトークを作ったの。アイコンは飛べないペンギンの写真だった。
えんぴつ:(目を見開く)ペンギン。僕の暗喩か。じゃあ、あの時僕が振りかざした正義の旗は、誰の心にも届いていなかったのか。
ハサミ:届くわけないわよ。青臭い正義感で自分の主張を押し付けて、周りが見えてなかっただけ。過去なんて思い出すもんじゃないよ。誰からも大して愛されてなかったって再確認するだけだから。はい、このシーンもカット。
えんぴつ:(両手で顔を覆う)待ってくれ。僕のアイデンティティがタイムラインから完全に消去されていく。僕の青春は、自分しか見えていない無価値な歴史だったのか。 (カウンターの中にいる店主の真田まるに声をかける)ねえ、まるさんはどう思います?
真田まる:え、何? 聞いてへんもん、わからんわ。あんたらパソコンさんと3人で話しとっただけやろ?
えんぴつ:(自分とハサミとノートPCを順々に指差し)3人。
(笛吹ケトルがピーっと鳴る)
まる:やかんの蓋を吹き飛ばす熱湯が、冷めて人に染み込む白湯になるんよ。最初からぬるい水には、誰の体も温められへんわ。
ハサミ:(まるを見て、ぽかんとしているえんぴつを見る)ね。だから大丈夫。
えんぴつ:大丈夫?
ハサミ:この意味不明な演説シーン、倍速にしてテロップ入れたら、ショート動画で確実にバズるから。
えんぴつ:(顔から手を離す)バズる? じゃあ、カットゴーズオンで。
(幕)
作・千早亭小倉
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