コント「トランスフォームする傷と威厳」

【登場人物】
恋流波 陽(はる)
:大学生。父親に対しては無意識に敬語を使ってしまうなど、微妙な距離感がある。
恋流波 東彦:陽の父。観察眼は鋭いが、自分のこととなると途端にポンコツになる。ホッピーが好き。

【場面設定】
居酒屋「ここきた」。カウンター席。東彦と陽が並んで座っている。

東彦:お前、左手の親指に傷があるな。(陽の手元を見ながら、ホッピーのグラスをカウンターに置く)

はる:ああ、これですか。前に、アクションシーンでちょっと頑張り過ぎちゃいまして。

東彦:自主映画か。しかし、奇遇だな。私も同じ場所に傷があるぞ(自慢げに、陽の顔の前に親指を突き出す)。とは言っても、私の場合は小学生の頃だが。ざっくり。工作の時間に、ボンナイフで割り箸を削っていて失敗したんだ。

はる:ボンナイフ?

東彦:カミソリの刃がついた折りたたみ式のプラスチックナイフさ。昭和の男子の必須アイテムだな。まあ、持ち歩きするもんじゃなかったが。不器用な私には凶器でしかなかった。

はる:昔からポンコツだったんですね。

東彦:敬語のくせに、辛口だな。まあ、否定はしない。ほら見てみろ。バチンバチンって、医者がホチキスみたいなので止めたからな、今でもこんなに傷が残ってしまった。

はる:わ、ほんとだ(気持ち悪そうに見る)。痛そう。

東彦:しばらくは、親指を曲げると傷口が開くんじゃないかとビクビクしていたものだ。

はる:あ、それはわかります。いつの間にか、くっつくんですよね。

東彦:まあ、こういう傷は、自慢というか、話の種にもってこいだ。

はる:いや、自慢にも話の種にもならないと思います。

東彦:わからんぞ。たとえば、氷山みたいに冷たい女の心を溶かす時の話題とかな。

はる:(持っていたウーロン茶のグラスをドンと置く)なんで知っているんですか。

東彦林太郎りんたろうくんに聞いた。お前、相変わらず登頂困難な山ばかり狙っているらしいじゃないか。若気の至れり尽くせりだな。不器用な男がもがく姿は、端から見ている分には最高のエンターテインメントだ。エンターテイメントじゃないぞ、エンターテイ「ン」メントだ。

はる:林太郎のやつ、余計なことを。

東彦:だが、私の怪我の歴史は、この親指だけにとどまらないぞ。

はる:怪我の歴史……。

東彦:私もむかしは、ずいぶんとやんちゃだったからな。これを見ろ。

(東彦、座ったまま陽のほうを向き直り、ズボンの裾をめくりあげる)

はる:え、何もないですけど。中ですか?

東彦:ホッピーみたいに言うな。ちょっと待て。こうして膝を曲げていると、皮膚が伸びて何もないようだろう。だがな、足をぴんと伸ばすと。(と言って、立ち上がる)ほら、小さな穴みたいにくぼむだろう。

はる:うわ、本当だ。でも、面白さの基準がよくわかりません。

東彦:姿勢によって過去の失敗がトランスフォームするんだ。男の勲章さ。

はる:でも父さん、その膝の傷の話、母さんからは全然違うバージョンで聞いていますよ。

東彦:(目を丸くする)母さんから。どういうことだ。

はる:小学生のとき、学校の稲刈り体験の。父さん、かまの使い方がヘタで、膝にコツンって当てたんでしょう? 血が噴水みたいに出たって、初デートの帰り道に教えられてもねって、母さん苦笑いしてました。

東彦:なんだ、聞いたのなら、なんでそのときに私に見せてとねだらない。そういうところだぞ、お前は。

はる:そういうところって、父親の膝の傷なんか見たくないです。

東彦:それならこれはどうだ。崖から飛び降りようとしたこともあるんだぞ。小学生のときだがな。

はる:また、小学生のときですか。どんな小学生だったんですか、父さん。それは聞いてません。

東彦:家がな、崖の下にあってな。その崖が崩れて来ないように、コンクリートの壁があったんだ。

はる:ああ、間知けんちブロック擁壁ですね。

東彦:壁の名前なんて知らないよ。というか、お前よく知ってるな。ママ、知ってる?(カウンターの中で洗い物をしていた、愛子に尋ねる)

愛子:(東彦の隣にやってきて)間知けんちブロック擁壁は、L型擁壁などと比較して掘削土量が少なく、工事費用が比較的安価に抑えられます。

はる:愛子さん、物知り。

東彦:え、どうした、ママ。愛子がAIあい子になったみたいだな。なんか寒気がしてきた。

はる:で、その壁からどうしたんですか?

東彦:え、ああ、壁のいちばん上の細い縁を友だちと歩いていたんだ。手をこんな風にやじろべえみたいにしてな、バランスを取って。自分んちの屋根が上から見えるくらいの高さだぞ。それでも、庭を見下ろすと、手前にとうもろこしを植えてた木の棒が真上から見えて、その先に芝生の庭があって。その庭まで、えいって飛べるような気がしたんだ。

はる:え、大人でも無理でしょう、そんなの。

東彦:子どもの可能性はのびしろ無限大。空だって飛べるさ。

はる:で、どうなったんです? 飛んだんですか?

東彦:怖くてやめたに決まってるだろう。馬鹿なのかお前は。

はる:え、馬鹿は……(口ごもる)。

愛子:馬鹿は東彦さんのほうよねえ。

はる:ねえ(同調)。

(幕)

作・千早亭小倉

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