移動図書館日記(120)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

ロマコメ号の助手席に乗り込む。ドライバーのUさんが、「さて、出発だ」と陽気な声を出し、エンジンをかけた。今日はUさんの最終出勤日だ。

Uさんの運転は、揺れが少なくてとても静かだ。同じドライバーのHさんの運転も上手だけれど、Hさんはいつ見ても、車をピカピカになるまで拭き上げている。対するUさんは、車を停めるとすぐに外へ出て、タイヤのまわりにある石をどけたり、ステップのそばの邪魔な雑草をしゃがんでむしったりする。Hさんは車を愛する人、Uさんは、車が走るほうへと、細やかに気を配る人だ。

今日も、移動中の車内はいつもどおり。新しく入れる本の並びや、これまでの巡回の思い出を、運転席と助手席で賑やかなくらい話した。なぜ今日で最後なのか、実は私は知らない。尋ねることもなかった。人にはそれぞれ、語らない暮らしの引き出しがある。ただ、前を向いてハンドルを握るUさんの横顔のしわが、陽の光に照らされて穏やかに見えた。

巡回先に到着すると、Uさんは真っ先に動き出した。車中で、「今日はドライバーしかやらなくていい?」と言っていたのに、重いコンテナを率先して下ろし、テントの設営を済ませると、返却される本の受け付け準備を始めた。

その日は、不思議なほど賑やかな一日だった。学校帰りの子どもたちが砂を蹴って走り込んできたかと思えば、少しはにかんだ中学生や、「あっ、図書館車だ」と自転車を停めた高校生たちもやって来た。買い物帰りの元気なおかあさん、寝間着姿のおとうさん、ゆっくりと杖をつくおばあさん。まるであらかじめ約束していたかのように、いろいろな世代の利用者さんが、代わる代わるハッチの前に集まった。

子どもは地面にしゃがみ込んで図鑑を開き、高校生は棚の陰で熱心に小説を選び、おばあさんはUさんと楽しそうに言葉を交わしている。それぞれが、心地よい距離を保ちながら、自分の時間を過ごしている。「居場所」と言葉にするのは簡単だけれど、なぜ「居場所」なのかを説明するのは難しい。でも、それは「居場所」だった。

その真ん中で、Uさんの声が響く。「これ、面白いよ」「10冊まで借りられるよ」「気をつけて帰ってね」相手が誰であっても、Uさんの声は同じように明るく、真っ直ぐに届く。図書館車のまわりの空気が、その声でふわりと軽くなる。その場を一瞬で元気にする「声」の響きは、ひとつの美しい才能だ。

宮沢賢治の『風の又三郎』を思い出した。風のように現れて、子どもたちの中に自然に溶け込み、元気な風を巻き起こして、そしてまた静かに去っていく、あの不思議な少年。去っていくあの背中に、私たちは余計な感傷を押しつける必要はない。ただ、通り抜けていく気持ちのいい風を、静かにねぎらうだけだ。

片付けを終え、ロマコメ号のハッチを閉めると、パチンと乾いた金属音が響いた。

「おつかれさまでした」

私がゆっくりと言うと、Uさんは「ありがとうございました」と、いつも通りの元気な声で笑った。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

[コント台本・小説500本]

主な舞台は、椎名町三丁目から広がる箱庭「ここあん村」。箱庭コント作家・千早亭小倉の手による、どこか懐かしい日常劇やクスッと笑えるコメディ、沁みる掌編を絶賛公開中です。これからも「読むシットコム」の世界を追究していきます。
*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI. *無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|箱庭コントを紡ぐ 話紡庵レーベル All Rights Reserved.

[コント台本・小説500本]

主な舞台は、椎名町三丁目から広がる箱庭「ここあん村」。箱庭コント作家・千早亭小倉の手による、どこか懐かしい日常劇やクスッと笑えるコメディ、沁みる掌編を絶賛公開中です。これからも「読むシットコム」の世界を追究していきます。
*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI. *無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|箱庭コントを紡ぐ 話紡庵レーベル All Rights Reserved.

箱庭小説
higashiboctokをフォローする
タイトルとURLをコピーしました