早稲田のスナック「灯台」時代
海ママの本名は誰も知らない。1980年代の終わり、早稲田のグランド坂にあるスナック「灯台」でアルバイトをしていた頃、いつも海を思わせる絞りのTシャツを着ていたことから、店では「海」「海ちゃん」という愛称で呼ばれていた。本人が「めじろ」と明かしたという噂もあるが、真偽は定かではない。
もともとクラシックやジャズ、民族音楽などの素養があった彼女は、「灯台」のママから三味線や小唄といった和の芸を仕込まれると、すぐに自分のものにしていった。特に昭和歌謡に対する耳コピの精度とレパートリーの多さはすさまじく、ママも舌を巻いたほど。ちなみに、パチンコの腕(?)も、「灯台」のママに仕込まれたもの。
ここあん村の怪しい店と「椎名町芸者」
20代後半から30代にかけて、彼女はここあん村の裏通りにあるボッタクリまがいの店で働き始める。昼間はすっぴんで、長い髪を頭の上でお団子にしてかんざしで留めていたことから、いつしか「ここあん芸者」と呼ばれるようになった。椎名町三丁目あたりで、その姿を見かける人が多かったことから、「椎名町芸者」と呼ぶ者もあった。
店で働くにあたり、濃い化粧を施し、かなり強い良い匂いの香水を纏うようになった。素顔はこざっぱりとした顔立ちで、化粧を落とすと誰だかわからなくなると言われるほど印象が変わった。
ある関取との出会い
ある日、「面白い芸者がいる」と評判を聞きつけた関取に呼ばれ、彼が飲んでいた店へ出向く機会があった。彼女が三味線を弾き、歌を披露すると、四股名に「海」の字を持つ関取は彼女の目元をじっと見つめて言った。
「あんたの瞳には、俺の故郷の海が映っているな」
「灯台」時代のあだ名だった「海」と、関取が彼女の瞳に見出した故郷の海のイメージが重なった。ただ、「灯台」時代の瞳は夏の海、関取が見た瞳は冬の荒れた海だったとも言われる。海が夏から冬に貌を変えた理由は誰も知らない。いつしか、彼女の周りにはどこか神秘的な噂が定着していった。
夫との出会いと「男なら3万円」
同じ頃、勤め先の怪しい店に、同僚の付き合いで迷い込んできた地味な男がいた。のちに彼女の夫となる、役所の建築課職員である。連れの同僚に逃げられ、高額な伝票を前に数枚の千円札を震える指で数えていた男を見かね、彼女は自分の知り合いだと言って伝票を引っ込めさせ、自分の財布から不足分を黒服の手にねじ込んだ。店の外で縮こまる男に、彼女は呆れたように言い放った。
「みっともないわね。男が外で飲むときは、最低でも3万は財布に入れておくものよ」
今も海の口から折りにふれ出る、名文句誕生の日であった。

現在の村への接続
その後、海ママは、総房地区でバーを開く。店の名は「海」。開店の後押しをしたのは、あの時の関取である。さらに、「あのこと」を経て、椎名町三丁目に店を移す。彼女は、今日もまた「海ママ」として店に立ち、不慣れな若い男客に「最低3万は財布に入れておきなさい」と説教を重ねている。それは、かつて路頭に迷いかけた夫を救ったように、不器用な男たちを夜の街の危険から守るための、彼女なりの接客哲学となっている。
海ママの夫は、彼女の本名は「よし子」だと言う。これもまた、真偽は定かではない。本名など、彼女には必要ないのかもしれない。彼女の生きてきた道が、彼女の名前なのだから。


