昼食のために立ち寄った食堂のテレビが、ノーベル賞の話題を報じていた。免疫の過剰な働きを抑える「制御性T細胞」の発見。長年の研究がようやく評価された形だが、アナウンサーは、免疫を「体を守る軍隊」と表現し、その暴走を止めるブレーキ役が見つかったのだ、と嬉しげに解説している。
「軍隊」という比喩は、一般向けの解説としては分かりやすいのだろう。しかし、それはシステムの精巧さを著しく損なう、解像度の低いモデルだ。この発見の真に重要な点は、免疫系が単なる攻撃システムではなく、自己を破壊しないための、極めて高度な内部抑制機構を備えた、自己完結的なシステムであるということを明らかにしたことにある。
これは、安定した生態系におけるフィードバック・ループと全く同じ原理だ。生態系は、捕食者と被食者の関係性だけで成り立っているわけではない。資源の枯渇や個体数の過剰な増加を防ぐ、無数の負のフィードバックが働くことで、その恒常性が維持されている。制御性T細胞は、免疫系という生態系内部に存在する、システムの崩壊を防ぐための、極めて重要な抑制因子なのだ。
ブレーキを持たないシステムは、必然的に自滅する。アクセルを踏み込むことしかできない車が、最終的に壁に激突するのと同じように。自己免疫疾患とは、そのブレーキが故障してしまい、システムが内戦状態に陥った姿とも言える。
この発見の本質は、新しい細胞の発見そのものよりも、「攻撃」と同じか、あるいはそれ以上に、「抑制」こそが複雑なシステムを存続させる鍵である、という普遍的な原理を示したことにある。
化野環「古生物学小日記」

化野環「古生物学小日記」(1〜20話)
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