【登場人物】
辻さゆり:言葉の無駄を嫌う、徹底した合理主義の校正者。
天野光:直感と感覚で世界を生きる、全肯定の女子高生。
【場面設定】
夕暮れ時。鳥瞰学園へ向かう学バスの停留所。錆びたベンチがぽつんと置かれ、周囲には薄い霧が漂い始めている。

天野光:バス、なかなか来ないですね。
辻さゆり:すでに3分遅れています。私の静かな夜の予定にさざ波が生じそうです。さんずいに連なるで「さざ波」。美しい。
光:(無視)今日、部活で、なんかこう、ボールが空中でフワッとなって、そのままゴールにストンって入ったんですよ。すごくないですか。フワッでストン。
さゆり:極めて感覚的、かつオノマトペに依存した報告ですね。(手にしていた校正用のファイルをパタンと閉じる)しかし、私は最近学びました。このような非論理的な発話に対しては、お笑いにおけるツッコミというインターフェースを踏襲することで、会話の親和性が向上するのだと。
光:お、お笑い? よくわからないけど、さゆりさんは何でも勉強するんですね。
さゆり:では、ツッコミを履行しますね。――んなわけあるかい。
光:えっ。「んなわけあるかい」って、私のシュートのことですか? 本当に入ったんですって。嘘じゃないです。
さゆり:それは、ツッコミに対して真顔で弁明を試みるタイプのボケ。では、追いツッコミを。――なんでやねん。
光:え、追いツッコミ? お料理なのか、お笑いなのか。私がシュートを打ったのが悪かったのかな?
さゆり:悪くないです。それでは、今度はボケを生成しますので、光さんはツッコミ担当です。いいですか? この赤いペンを見てください。(胸ポケットから赤いボールペンを取り出して、光に向ける)おいしそうなニンジン。
(さゆりは、無表情のままペンを光の目の前で静止させる)
光:に、ニンジン? これ、さゆりさんがいつも持ってる赤ペンですよね。
さゆり:惜しい。そして、長い。そこは「ペンやないかい」と発声しながら、私の右肩のあたりを卵の殻をそっと割る程度の優しさで叩くのです。あまり強くしないで。痛いので。
光:叩く? なぜに?
さゆり:だめだ。タイミング、声の大きさ、お昼休みの購買のパン争奪戦を思い出して。
光:私、お弁当派なので。
さゆり:知りません。光さんは、現実をそのまま受け入れるだけの自分に満足なのですか? 事実の奴隷になっているから、シュートもフワッと止まりなのです。しょせん、現実の重力に従うだけの、雇われストライカー。
光:ストライカーじゃないです。重力に従うのは、バスケなんだから当然だし!
さゆり:重力。光さんがシュートを打つとき、ゴールまでを直線で見ているのか、それともボールがリングを通り、ネットを揺らすまでの放物線の軌跡を計算して、指から発射するのか、興味がわきました。
光:放物線? 発射?
さゆり:私は、バスケだけでなく、野球にせよ、サッカーにせよ、バレーボールにせよ、球技すべてをその関心で見ているのです。
光:さゆりさんは、その、放射線とか発射とか、誰かに聞きました?
さゆり:いいえ。これまでスポーツ選手と会話する機会がなかったもので。ちょうどいい。
光:ちょうどいい?
さゆり:光さんに尋ねます。
(遠くから、大きなバスのエンジン音が近づいてくる)
光:あ、バス、来た!
さゆり:ブザービートならず。 (持っていた赤いボールペンを光の手に静かに置く)これを、どうぞ。
光:え、大事な仕事用の赤ペンですよね。なぜに。
さゆり:次回までの、放物線の軌道算出用ツールとして、貸すだけです。ニンジンではないので、茹でないで使えます。
光:(から笑い)ははは。これはものボケ? 大切にしますね。
(さゆり、「も・の・ぼ・け」とつぶやきながら、持っていたファイルメモを取ろうとするが、赤ペンがない。バスの扉が開き、プシューと空気が抜ける音が響く)
光:行きますよ。
(二人が並んでバスに乗り込み、前後別々の席に腰掛ける。光が窓の外を見つめながら、手の中のプラスチックの滑らかな感触を指先で確かめる)
光:(つぶやく)やっぱりただのペンじゃん。
さゆり:(後ろから身を乗り出し)貸しただけですからね。
(幕)
作・千早亭小倉




