移動図書館日記(122)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

ロマコメ号の低いカウンターの上に、文庫本が2冊置かれた。手前に立つおとうさんから本を受け取り、裏面のバーコードにスキャナーをあてる。ピッ、ピッ、と2度、電子音が鳴った。

表紙に並んだ著者名を見て、私は顔を上げた。

「この作家さん。新聞の連載小説も書かれていますよね」

おとうさんは少し驚いたように目を見張り、それから嬉しそうに笑った。

「そうそう。毎朝ね、新聞が届くとすぐに読むんだ。声に出して」

(声に出して)

かすかにかすれた、よく通る声だ。一人で過ごす朝の部屋で、紙面を広げて朗々と読んでいる姿が目に浮かぶ。

「それじゃあ、昨日の回も読まれました?」

「読んだ読んだ! 主人公たちが追い詰められて、いよいよ反撃にかかるところだろ。え、千夏ちゃんも読んでるの?」

おとうさんの声が弾み、背筋がすっと伸びた。私も毎朝、出勤前に同じ紙面を追っていたから、昨日の緊迫した場面の面白さが蘇る。

「すごく格好よかったですよね、最後のセリフ。一緒に言ってみますか?」

自分の発した言葉に、自分自身がいちばん驚いた。おとうさんは「お」と身を乗り出し、大きく息を吸い込んだ。

「いいね、いくかい?」

「ええ」

「まだまだ、まだまだまだまだ!」

新聞小説とは思えないようなセリフ。おとうさんの太い声と私の声が重なり、思いのほか大きく広場に響いた。腹の底から声を出したあとの、清々しい余韻が残る。おとうさんは大笑い。

「あらあら、どうしたの急に」

近くの洗い場で野菜の泥を落としていたおかあさんが、手を止めてこちらを振り返った。広場の隅で遊んでいた子どもたちも、「なんだなんだ」と駆け寄ってくる。

「千夏ちゃんとおとうさんが、でっかい声出してた!」

「なにしてんの? 遊んでるの?」

「ちがうよ、小説の決めゼリフだ」

おとうさんが照れくさそうに、それでも少しだけ得意そうに胸を張ると、集まってきたみんなの間からどっと笑いが起きた。

ふと、車内の書架にある谷川俊太郎さんの詩集を思い出した。紙の上に並んだ文字が、ひとの声に乗って放たれたとき、言葉は生き生きとした手触りを持って相手に届く。声に出して読むことの喜びを、教えてくれた本。

「はい、おとうさん。返却は2週間後です」

本をおとうさんに手渡す。子どもたちの賑やかな声を聞きながら、私はカウンターの上のバーコードリーダーを置き直し、次の仕事へと静かに戻る。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

菜箸千夏「移動図書館日記」
移動図書館を舞台にした連作。架空の箱庭「ここあん村」の司書・菜箸千夏が綴る、日々の記憶の再構成。震災後の混沌と秩序の間で、本を運ぶロマコメ号と村の人々が紡ぐ、百話をこえる日常の定性的記録。文・構成:千早亭小倉(箱庭小説家)
[コント台本・掌編 約600本]

主な舞台は、椎名町三丁目から広がる箱庭「ここあん村」。箱庭コント作家・千早亭小倉の手による、どこか懐かしい日常劇やクスッと笑えるコメディ、沁みる掌編を絶賛公開中です。これからも「読むシットコム」の世界を追究していきます。
*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI. *引用の範囲を超える無断転載・複製を禁じます。 Copyright © 2025-2026 千早亭小倉|箱庭コントを紡ぐ 話紡庵レーベル All Rights Reserved.

[コント台本・掌編 約600本]

主な舞台は、椎名町三丁目から広がる箱庭「ここあん村」。箱庭コント作家・千早亭小倉の手による、どこか懐かしい日常劇やクスッと笑えるコメディ、沁みる掌編を絶賛公開中です。これからも「読むシットコム」の世界を追究していきます。
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