コント「バナッハとダダッダの邂逅」

【登場人物】
平泉 慧:
ここあん大学大学院生。理論物理学専攻。エネルギーの無駄遣いを極端に嫌う究極の省エネ主義者。クールな女性。
古暮 賢人:ここあん大学大学院生。複雑系科学専攻。世界のカオスと崩壊に怯える小心者。
ダダダさん:近所の不思議なおじさん。何を言われても無条件に全肯定する完全共感体。意味の消滅点。

【場面設定】
ここあん大学学生ラウンジ「アンコンフォーミティ」。平泉がソファに深く沈み込み、微動だにせず絶対静止の姿勢を保っている。向かいで古暮がコーヒーを激しくかき混ぜている。

古暮賢人:(スプーンを激しく回しながら)ああっ、ダメだ、混ぜれば混ぜるほど、コーヒーとミルクの境界線がグニャグニャに崩壊していく……! これが世界の熱的死、エントロピーの増大、カオスへのカウントダウンか……!

平泉慧:(目だけを動かして)うるさいわね、古暮。コーヒーくらい静かに飲みなさいよ。スプーンを回すエネルギーだってもったいないでしょう。

賢人:静かにしてられますか! あ、知ってますか平泉さん。どんなにめちゃくちゃにかき混ぜても、最初と全く同じ位置から一歩も動いていないミルクの粒子が、絶対に1粒は存在するっていう不気味な定理があるんですよ。

慧:ああ、ブラウアーの不動点定理でしょ? トポロジー(位相幾何学)の話。

賢人:知ってたんですか。

慧:知ってるわよ。でも、私がさっきから考えているのはそれじゃない。グニャグニャかき混ぜる複雑な話じゃなくて……もっと基礎的で、無駄のない、美しい定理よ。

賢人:美しい定理?

慧:同じ操作を何度も何度も繰り返し適用していくと、最終的に必ずたった一つの点に吸い込まれていくっていう定理よ。あの一点に美しく収束する感じ、最高に省エネだわ。……なのに、その定理の名前が思い出せないのよ。名前を思い出そうとするだけで、私の脳内メモリが今、無駄に消費されているわ。

賢人:一点に強制収束ですか。現実はそんなに甘くないですよ。世界は常に予測不能な軌道を描いて、いつだって崩壊の危機に。

(ラウンジのドアがそっと開き、ダダダさんがふらりと入ってくる)

ダダダさん:なんか面白いこと言ってー。

慧:(背筋をピシッと伸ばして)あ、バナッハ! 思い出したわ!

賢人:ええっ!? 急にどうしたんですか。バナッハって、ダダダさんの顔を見て思い出す名前ですか?

慧:そうよ。ダダッダ、バナッハ。どちらもア段の音の連続だわ。脳のシナプスが直感的に繋がったのよ。

賢人:ア段つながり!? 雑な連想ですね……。でも、それがさっきの、一点に収束する定理の名前なんですね。

慧:そうよ。ダダッダからのバナッハの不動点定理よ。でも、考えてみれば、このダダッダさん自体が、バナッハの不動点定理みたいな存在よね。

賢人:え? ダダッダ……じゃなくて、ダダダさんが、定理……?

慧:そうよ。私たちがどんなに複雑な議論をぶつけても、どんなに感情をぐちゃぐちゃにかき回して彼という関数に投入しても、何度も繰り返すうちに、最終的にただ一点の、絶対的な無意味に収束するじゃない。

賢人:なるほど……! 僕たちの不安も論理も、すべてが吸い込まれる「意味の消滅点」!

ダダダさん:(にこにこしながら)ホントだねー。

慧: ほら、これよ。この一点の全肯定。

賢人:これが、バナッハの不動点……! ん? ダダッダの不動点か?

慧:まあ、これでこれ以上、頭を動かして議論しなくて済むわ。究極の省エネね。

賢人:全然すっきりはしないですけど、僕も、これ以上話すエネルギーがなくなってきました。

慧:それが収束したってことよ。

ダダダさん:ホントだねー。

慧:絶対わかってないわよね。

賢人:ええ、絶対わかってませんね。

(幕)

作・千早亭小倉

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