【登場人物】
ショパン:ここあん高校生。裕福で知性が高く、リリカと皮肉を語り合える少年。
カリソメ君:ここあん高校生。個性派揃いの環境で、等身大なツッコミを入れる。
しあんまぜんた:微笑書店で働く直情型の青年。映像の美術やサムネイル制作が得意。
ひくえ:ガールズバンドのキーボード。明るいムードメーカーだが、極度に不器用。
タッピツ:文字の美しさをこよなく愛する、元文芸部の「手書き天女。と呼ばれる少女。
がらすきらいぶ:映像の音響を担当する青年。貧乏性でメンタルが弱く、音へのこだわりを持つ。
【場面設定】
微笑書店の絵本売り場。ショパンとカリソメ君が一冊の絵本を手にとって話をしている。

カリソメ君:あ、これ。せなけいこさんの『ねないこだれだ』。懐かしいな。
ショパン:名作だよね。夜更かししてる子がお化けに連れていかれちゃうやつ。
カリソメ君:そうそう。でもさ、僕、ずっとこれ『ねないこだーれ』って題名だと思ってたんだよね。完全に記憶違いしてた。
ショパン:それは実に興味深い認知の歪みだね。なぜカリソメ君の脳が「だれだ」を「だーれ」に書き換えてしまったのか、ちょっと考えてみよう。
カリソメ君:え、そんな真面目に考えること?
ショパン:(それには応えず)まず考えられるのは、カリソメ君の親御さんや幼稚園の先生の責任だね。その人たちが最初から読み間違えて君に刷り込んだんだ。つまりカリソメ君のせいじゃない、環境のせいさ。
カリソメ君:いや、人のせいにするのはちょっと。僕の親も先生もちゃんと「だれだ」って読んでたと思うよ。
ショパン:ふむふむ。他責が違うとなると、やはり闇の組織の介入だろうね。世界の歴史を裏で操る秘密結社が、人間の記憶を少しずつ改変する大規模な実験を行っていて、その被験者に君が選ばれたんだ。いわゆるマンデラ効果を人工的に引き起こす陰謀だよ。
カリソメ君:規模がでかすぎ! なんで世界的な組織が僕の絵本のタイトルを微調整してんだよ。陰謀論とか他責思考はなしね。考えるのはいいけど、もっとまともな理由を出してよ。
ショパン:ふむふむふむ。他責も陰謀も却下か。ならば、人間の心理構造と脳のメカニズムから紐解くしかないな。それでは、僕の「思考の旅」に付き合ってもらうとしようか。
カリソメ君:「思考の旅」って何だよ。専門家でもないのに。
ショパン:ではでは、さっそく、第一の仮説。音響心理学における子音のディケイ、つまり減衰が原因だ。寝る前に親から読み聞かせをしてもらう際、子供の脳はすでに睡眠モードに入りかけているよね。このとき、脳内では「D」などの強い子音が聞き取りにくくなり、母音の響きが引き伸ばされて知覚されやすくなるんだ。「だ」「れ」「だ」の最後の強い音が、眠気の中で「だーれ」という心地よい残響に変換されて記憶されたのさ。
カリソメ君:あー、ウトウトして耳が遠くなってたってことね。それはあるかもね。
ショパン:では、第二の仮説。これはツァイガルニク効果の逆転による脳内補完だよ。人間は未完了の事象ほど強く記憶する性質、つまりツァイガルニク効果があるんだ。でも、「だれだ?」と疑問形で言い切られると、脳は答えを出さなければと緊張する。その緊張から逃れるため、脳が勝手に語尾をだーれとフェードアウトさせ、未解決のままフワッと完結させたことにしたという心理的防衛だね。
カリソメ君:脳が緊張に耐えかねてフェードアウトしちゃったってこと? どんだけ豆腐メンタルな脳みそなんだよ、僕。
ショパン:第三の仮説、行くよ。認知バイアスであるセルフ・ハンディキャッピングの誤発動だ。
カリソメ君:次々、よく思い浮かぶね。合ってるどうこうより、それに感心するよ。
ショパン:ありがとう、友よ。では、第三の仮説の続きだ。夜更かししている子は誰だとストレートに問われると、心当たりのある子供は恐怖を感じる。そこで「ねないこだーれ」という、どこか他人事のような、あるいはファンタジーの呼びかけのようなニュアンスに無意識に書き換えることで、自分がターゲットになる恐怖を和らげようとした心理的防衛策だよ。
カリソメ君:自分を守るために必死でマイルドにしてたんだね。健気な奴だな、僕。
ショパン:では、第四の仮説ね。初頭効果によるメモリの独占だ。記憶のメカニズムでは、最初に提示された情報の印象が最も強くなる初頭効果というものがあるんだ。「ねないこ」という強烈なワードを処理することに脳のメモリが大半割かれてしまい、後半の「だれだ」の処理が疎かになった結果、当時脳内に定着していた別の幼児向けフレーズとブレンドされて出力されました。
カリソメ君:前半で力尽きちゃったんだ。脳のキャパシティ狭すぎ! 僕、狭すぎ!
ショパン:第五の仮説。四拍子リズムへの帳尻合わせ。ねないこの四拍に対して、後半もだーれと四拍で揃えたリズム優先説だ。
カリソメ君:急に雑だな! ショパンも力尽きたか? (手で拍子を取りながら)「だーれ」は三拍だろ?。
ショパン:だーれのあとに一拍「間」が入るんだよ。「だーれ、んっ」だ。
カリソメ君:ほんとかよ。
ショパン:先行くよ、第六の仮説ね。記憶の摩耗現象。時間が経って「だれだ」の角が削れて、「だーれ」と丸くなった。
カリソメ君:さらに縮んだわ!
ショパン:うるさいな。細部にこだわりすぎるのは良くないよ。第七の仮説。ねじ巻き直して行くよ。コントのフリとしての様式美への適応だよ。コントの構成において、「ねないこ」という強いフリに対して「だれだ」と鋭く返すと、そこで一度緊張感が完成してしまうんだ。物語をさらに先へ展開させる、つまりお化けの世界へ引き込むためには、「だーれ」と間を持たせるフリの形にしておく方が、展開として美しいと脳のクリエイティブ部門が判断した結果だね。
カリソメ君:僕の脳の中にコント作家が住んでるの? 幼児の僕は、構成の美しさを意識してたのか。でも、ショパンの勢いは戻ってきたね。
ショパン:ふん、だれだと思ってるんだ。第八の仮説。視覚的メタファーの文字へのスライド現象だ。作中に登場するお化けは、下半身や手が横にスーッと伸びた特徴的なシルエットをしているよね。この横に伸びる視覚的イメージが、記憶の中で言語の領域にまで染み出してしまい、文字の並びの中に長音記号として具現化してしまったという、感覚の混濁によるものさ。
カリソメ君:お化けの形が文字に伸びてきた? オカルト現象?
ショパン:第九の仮説。マザーリーズ、いわゆる母親語フィルターの自動適用だ。大人が乳幼児に話しかけるとき、無意識にトーンが高くなり語尾が伸びる特徴がある。幼少期の脳は、すべての外部の言葉をこの優しいフィルターを通して受信する傾向があるため、活字の「だれだ」という強い表現を、脳内翻訳機が自動的に「だーれ」にマイルド化した可能性があるんだ。
カリソメ君:あー、お母さんの優しい喋り方に脳内変換されちゃったってわけね。
ショパン:そして第十の仮説。主客合一によるお化け視点の獲得だ。この絵本を何度も読むうちに、読者はお化けに怯える子供の視点から、いつの間にか子供を驚かせるお化けの視点へと同化していったとしたら?
カリソメ君:したら?
ショパン:したら、お化けの立場からすれば、威嚇するように誰だと言う必要はなく、ニヤニヤしながら「だーれ」と問いかける方がしっくりくるため、その役割を演じる心理がタイトルを書き換えたんだ。
カリソメ君:最後は絵本がお化けに乗っ取られて終わったよ。怖いわ。
書店の店員(しあんまぜんた):あの、すいません。他のお客様の……。
ショパン:あ、これは、ご迷惑ですよね。
カリソメ君:あ、すみません、すみません。(『ねないこだれだ』を店員に渡し)これ、買いますね。
しあんまぜんた:いえ、いいんです。ただ、他のお客様の関心がすごいみたいで。
(二人がハッと周囲を見渡すと、いつの間にか大勢の人だかりができている)
ひくえ:私は断然、五番目の四拍子帳尻合わせ説を推すわ!
タッピツ:私は、十一番目の新仮説として、お化けの頭のてっぺんの尖った部分が脳内で長音記号に変換された説を提唱したい!(指で文字を描く)
がらすきらいぶ:僕はいちばん最初の子音の何とか説に一票!
しあんまぜんた:というわけですので、来週、ここで読書会をやっていただけませんか?
カリソメ君:わあ、すごいじゃないか、ショパン!
(カリソメ君から『ねないこだれだ』の絵本を受け取りながら)
ショパン:ふむふむふむ、ふむ。タイトルの話だけで、中身の話はしない読書会でいいんですか?
しあんまぜんた:あっ。
(幕)
作・千早亭小倉







