箱庭コント337「昨日、ここあんバードで」

【登場人物】
岸辺義道:ここあん大生。映画監督志望。すべてをシネマティックな構図や文脈として受け止める。
ぺらいちまい(えんぴつ):文士気取りの男。自身の身体の軋みや生活の困窮を、無意識に高尚な言葉へすり替える。

【場面設定】
ここあん村の映画館「夕日座」の前。古びた案内板に『去年マリエンバードで』のモノクロポスターが貼られている。義道とえんぴつが少し距離を置き、同じポスターを見上げている。

岸辺義道:ええタイトルやな、これ。「去年マリエンバードで」やて。口の中で転がすだけで、南仏のカフェのテラス席が見えてくるわ。極上のエスプレッソの香り付きでな。

えんぴつ:(義道のほうをチラッと見て)テラス席かい。ずいぶん風通しのいい場所を思い浮かべるんだね。「マリエンバード」、僕にはもっと、逃げ場のない密閉された空間のように響くけれど。尋常じゃない熱気に、ひたすら耐えるような場所さ。

義道:なるほど。避暑地の古いホテルの一室、男女が閉じ込められた息苦しい空気感か。その閉塞感、わかる気がするわ。

えんぴつ:耐えきれなくなって冷水に身を投げて、あとは乾いたベンチで虚脱感に浸るしかないのさ。

義道:恋の熱狂のあとに訪れる、冷え切った虚無感な。視線を合わせなくても、もう全部終わったってわかるあのアンニュイな空気。ええ表現やな。

えんぴつ:そもそも「マリエンバード」って何なんだろうね。昨日の過ちのせいで、身体の節々が軋んで悲鳴を上げている状態。立ち止まることすら億劫になるあの重い感覚を、そう呼んでいるんじゃないのかい。

義道:身体の軋みが「マリエンバード」!? 地名ではなく、愛憎のもつれをそう表現したわけか。あんた、なかなか文学的な言い回しするやんか。

えんぴつ:文学的かどうかは知らないよ。切迫した状態を、無理やり気取って呼び替えた隠語の類に思えるのさ。

義道:他人に言えん秘密の情事を隠語に託して語り継ぐわけか。実にシネマティックや。

えんぴつ:手持ちのすべてを失いかけて、今日の糧すら怪しい人間同士が、まともに顔を合わせられるはずもないからね、「マリエンバード」。

義道:持てるものすべてを投げ打つ破滅的な愛、それが「マリエンバード」か。(初めてえんぴつのほうを向き、両手で四角いフレームを作って覗き込む)その立ち姿のやつれ具合、映画の冒頭のワンカットとしてすごく完成度高いで。

えんぴつ:やれやれ、勝手にフレームに収めないでくれないか。それよりも、君は、この頭についている「去年」という言葉をどう思う。ずいぶん冷酷だと思わないかい?

義道:そう、そこなんよ。ただのマリエンバードやなくて、「去年」がついた途端に、もう二度と戻らん過去の記憶として完成されるんや。

えんぴつ:戻らない過去、ね。確かに年末にポストに届く冷淡な通告や、すでに期限の切れてしまった猶予を思い出して、胃のあたりがきりきり痛んでくるよ。

義道:ポストに届く? 苦い後悔を美しい言葉で覆い隠すなんて、大人の嗜みやんか。このタイトルひとつで、過去の失恋すら一級品の芸術に昇華されるわ。

えんぴつ:惨めな失敗は、もっともらしい名前で飾り立てないと、やっていられないからね。

義道:格好つけて背筋を伸ばすための嘘なら、映画として最高やろ。現実をそのまま引きずってもしゃあない。

えんぴつ:(コートのポケットに手を突っ込み、二枚の硬貨を指先で擦り合わせる)確かに「マリエンバード」と呟いている間は、自分がひどく知的な生活を送っているような錯覚を覚えるよ。手元には、指先で数えられるだけの丸い金属片しか残っていなくてもね。

義道:ポケットの小銭を握りしめながら、頭の中では地中海の風を感じてる。それ、めちゃくちゃドラマチックやないか。

えんぴつ:君はどこまでも前向きな鑑賞者だね。

義道:中身がどんな映画か知らんけど、このポスターの前で足止めただけで、今日はもう十分元取れた気がするわ。

えんぴつ:そこは同感だよ。中に入る余裕のない僕にとっては、この看板の文字を眺める時間こそが、唯一許された贅沢だからね。

(幕)

作・千早亭小倉


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[コント台本・掌編 約600本]

主な舞台は、椎名町三丁目から広がる箱庭「ここあん村」。箱庭コント作家・千早亭小倉の手による、どこか懐かしい日常劇やクスッと笑えるコメディ、沁みる掌編を絶賛公開中です。これからも「読むシットコム」の世界を追究していきます。
*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI. *引用の範囲を超える無断転載・複製を禁じます。 Copyright © 2025-2026 千早亭小倉|箱庭コントを紡ぐ 話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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