このスケッチの前のできごと・・・

それでは、本編を。
【登場人物】
氷上 静:ここあん湖畔のブックカフェ「シズカ」のオーナー。論理的な講釈が好きで話が長くなりやすい。
中野 小春:カフェ共同オーナー。
海野みかん:ここあん高校特別非常勤講師。ヴィネット演習担当。
【場面設定】
夕暮れ時、湖からの風が冷たくなり始めた頃のカフェ「シズカ」。木製ドアが開き、控えめなベルの音が鳴る。海野みかんが店内に入り、空いている窓際の席へ向かって鞄を隣の椅子に置き、腰を下ろす。カウンターの中では中野小春が布巾を畳んでおり、カウンターの奥では氷上静がガラス瓶に入った珈琲豆の重さを小さな秤で量っている。

中野小春:(顔を上げて穏やかに微笑む)いらっしゃい、みかんさん。外、風が出てきたでしょう。
海野みかん:ええ、少し冷えるね。湖のそばは、日が落ちると急に空気が変わる。
(小春、奥から湯呑みを取り出し、温かいほうじ茶を注いでテーブルまで運んで置く)
小春:まず温まって。珈琲はすぐ淹れるからね。
みかん:ありがとう、小春さん。
(みかん、湯呑みを両手で包んで一口飲む。奥で豆が真鍮の皿に落ちる音が数回響く)
氷上静:(手元を見たまま)学校のほうは、もう終わったのですか。
みかん:ええ。それが、さっき教室を出るときに、生徒たちが面白いことをやっていてね。
(みかんが湯呑みを置く。静は秤の針が止まったのを確認してから、みかんに視線を向ける)
静:面白いこと、ですか。
みかん:3人で「オノマとペ」って名乗ってる生徒たちがいるんだけど、空き教室で3人並んで、声を張り上げていたの。「しゑや」って。
(みかんが正しく「ゑ」を発音する。静の手が止まり、怪訝そうに、眉間にわずかに皺を寄せる)
静:「しゑや」ですか。万葉集の感動詞ですね。あらかじめ人言繁しかくしあらばしゑや我が背子奥もいかにあらめ。大伴坂上郎女。諦念と、それに伴う状況の受容を示す古代の言葉。しかし、なぜ現代の高校生がそれを口にする必要があるのでしょう。彼らの日常語彙の中に、同様の心理状態を処理するための表現はいくらでも存在するはずです。
(静、スプーンを置き、整然と並んだキャニスターの列に指先を触れる)
みかん:購買のパンが目の前で売り切れた時の覚悟を、その3文字に込める練習をしていたみたいだった。
(小春、ドリップ用のポットに湯を注ぎながら首を傾げる)
小春:なんだか、口の中で息が抜けていく音ね。言うときに、お腹のあたりがぺこって凹みそう。(口元を小さく動かしてみせる)放課後ってお腹が空く時間でしょう。そんな時に変に声を出したら、余計にお腹が鳴っちゃいそうだけどね。
(静、カウンターから出てきてみかんの向かいの席に背筋を伸ばして座る。卓上の中央にある小さな花瓶の位置を微調整する)
静:(均一な声の調子で)問題は音の響きではありません。購買の品切れという極めて個別的かつ日常的な失望に対して、千年以上前の言語形式を持ち出すことの構造的意味です。彼らは感情の発生と処理のあいだにある文脈を、単に3文字の記号へ丸投げしているに過ぎない。事象に対する正当な認識と葛藤を省略して、形式的な諦念に逃げ込んでいるのではないですか。それでは、「いいね」や「やばい」と何も変わらない。
みかん:(湯呑みを持ったまま、静を見る)逃げているというより、枠を作っているように見えたけれどね、私には。どうしてパンが買えなかったのか、誰が先に並んでいたのか、そういった前後の事情を全部切り落として、その瞬間の輪郭だけをぽんと置く。感情を説明するのをやめると、その場に残るものがあるでしょう。余白というか。
静:その余白こそが曖昧さの温床です。文脈を切り落とせば、事態の責任も、構造的な欠陥も不可視化されます。パンが足りないなら購買の仕入れ数を見直してもらうべきですし、売り切れを嘆くなら行動の初動を早めるべき。3文字を唱えて自己完結してしまっては、現実に介入する足がかりが失われます。
(小春、二人の間に深煎りの珈琲が入った白い陶器のカップを置き、静の肩に手を置く)
小春:はい、お待たせしました。静ちゃん、難しい顔をしてると、珈琲のいい匂いが消えちゃうよ。
(小春、眉間に皺を寄せて、そのあたりを撫ぜる。静、息を吐いて視線をカップに移し、姿勢を正す)
静:私は眉間に力を入れているつもりはない。物事の因果関係を正確に把握しようとしているだけ。
小春:はいはい。お腹が空いてると余計に言葉が尖るからね。夕飯のグラタン、そろそろオーブンに入れようかしら。
(みかん、運ばれてきた珈琲を飲んでいる。小春、みかんの湯呑みを下げて厨房へ戻る)
みかん:生徒たちはね、3人で声を分担していたよ。直感と、状態と、修辞だって。
(静、カップの取っ手に指を添えてみかんを見る)
静:分担、ですか。
みかん:ええ。ひとりが「し」で、次が「ゑ」で、最後が「や」。3人でひとつの言葉を完成させて、納得していた。長々と話し合うより、そうやって一度区切ってしまったほうが、次の一歩が出やすいこともあるんじゃないかな。
(静、珈琲をひと口飲み、カップをソーサーに戻す)
静:個別の役割を言語の構成要素に当てはめる試み自体は、分業の論理として理解できなくもありません。しかし、それは一時的な記号の共有であって、根本的な解決にはなっていません。
(静、納得しきらない様子でテーブルに視線を落とす。みかん、窓の外の夕景を見る)
みかん:まあ、解決しなくても、時間は勝手に進むからね。
(奥の厨房から食器の触れ合う音が届く。静、自分の珈琲を静かに飲む。布巾で手を拭きながら、小春が戻ってくる)
小春:(息を吐き出すように、少し強めに言う)しゑや!
(静、カップをソーサーに戻し、怪訝な顔で小春を見る)
小春:声に出してみたら、本当にお腹の力が抜けて軽くなるわよ。静ちゃんもやってみなさいよ、しゑや! 面白いから。
(静、露骨に嫌そうな顔をして唇を真一文字に結ぶ。みかん、珈琲を持ったまま、やってみたらという表情で静を見る。静、2人の顔を見比べ、首を横に振る)
――カフェの外。湖畔の冷たい夕暮れの中、暖色に灯る窓ガラスの向こうで、促す小春、面白がるみかん、そして頑なに背筋を伸ばして拒み続ける静の三人が、小さな額縁のように切り取られている。
(幕)
作・千早亭小倉






