【登場人物】
ボラン 京子:ドイツ歌曲の講師。元オペラ歌手で、完璧な美意識を持つ。
真木 まき:ここあん村立図書館副館長。現実をメルヘンに翻訳して受け止める。
相田 ミキ:きさらぎタウンの主婦。他人の言葉を100%の善意で曲解する。
東山 キイロ:喫茶「小古庵」のアルバイト。底抜けに明るい「天然のクラッシャー」。
【場面設定】
ここあん村立図書館、1階の村民交流ラウンジ。村の文化教室の受付デスク。

ボラン京子:真木さん。来週からここで始まる私の講座、受講者の集まり具合はいかがです?
真木まき:あ、京子さん。おかげさまで朝から村の妖精さんたちがたくさん、問い合わせの便りを運んできてくれていますよ。
京子:妖精さんがたくさん。なんだか、喉がイガイガしそう。
まき:(ニコニコしながらスルー)「ドイツリートを上手に歌おう」のクラスですよね。
京子:そう、それ。「上手に」って入ってるのは不本意だけど、最近は、上手になるのかどうか、コスパやタイパを気にされる方も多いんですって? 私としては、シューベルトやシューマンなど、ドイツ芸術歌曲の魅力を初心者の方にも気軽に親しんでいただければと。
まき:シューマンって、何かおいしそうな名前ですよね。
京子:(顔を引きつらせ)ロマン派の詩人に、おいしそうって、あなた。
まき:ふふふ。
(そこへ、相田ミキが小走りでやってくる)
相田ミキ:今度始まるっていう、「ドイツリート」の講座について聞きたいんですけど!
まき:あ、ミキさん。ちょうど、講師のボラン京子先生もいらしてるんですよ。
京子:(美しいソプラノボイス)何がお聞きになりたいの?
ミキ:昔、テレビで「ドイツ歌曲」の番組見たことがあるんですけど、ドイツリートとドイツ歌曲って、パスタとスパゲッティみたいなものですか?
まき:スパゲッティ、美味しいですよね。ふふふ。
京子:(まきを制して)ええと、リートと歌曲の違いですよね。そうね、パスタという広いくくりの中にスパゲッティという代表的な種類があるように、ドイツ歌曲という大きな枠組みの中にドイツリートという特定のジャンルがある、という関係性で間違いありません。
ミキ:ええと、となると、ドイツ歌曲がビールで、ドイツリートが黒ビールみたいな?
まき:ミキさんは黒ビール派ですか? 私は……。
京子:(再び、まきを制して)ええと、例えが必要な理由は何でしょう?
ミキ:あ、いいんです、いいんです。やっぱりそうなんだなって! 下ごしらえから教えてもらえるんですよね。
京子:下ごしらえ? ええと、はい、初心者の方、ドイツリートって何? という人も歓迎ですよ。
まき:黒ビール派、歓迎ですって。
ミキ:よかった。ちなみに、自分の家のフライパン持ってきていいんですか? うちのは24センチなんですけど。(ミキの携帯が鳴る)あ、ごめんなさい。
(ミキ、そのまま電話に出て、京子とまきに頭をぺこぺこ下げながら、どこかへ立ち去る)
京子:お、おもしろい方ね。ホームパーティか何かで歌を披露したいのかしらね。
まき:そうですよ、きっと。でも、京子さん。さすが分かりやすい説明でしたね。言葉の魔法使いみたいです。ふふふふ。
(続いて、東山キイロが軽快な足取りでやってくる)
東山キイロ:エクスキュゼ・モワ……じゃない、エントシュルディグングか。
京子:(目を輝かせて)まあ、ステキな発音。ヤー、ビッテ?
キイロ:あ、「ドイツリート」の講座の先生ですか? ちょっと聞いてもいいですか?
京子:ゲルネ! シーセン・ズィー・ロス! 担当講師のボランです。何でもお尋ねください。
キイロ:ドイツ歌曲とドイツリートの違いなんですけど。
京子:(やや、引く)みな、なぜそこに。
キイロ:あ、まずいですか?
まき:まずくないですよ、美味しいです。ね、先生。
京子:まずくはないです。ど、どうぞ。
キイロ:ええと、ドイツリートがエビフライで、ドイツ歌曲が海老天みたいなものですか、ね。
京子:エビフライに海老天。ずいぶんカロリーの高そうな例えだこと。
まき:キイロさんは若いものね。
キイロ:からっと揚げたのも好きですよ、ノンオイルの。ええと、どっちもエビを油で揚げるのは同じだけど、パン粉を使うか水溶きの小麦粉を使うか、洋食か和食か、みたいな別物なのかなって思いまして。
京子:いいえ、それとは構造が違います。
キイロ:でも、ドイツリートとエビフライはカタカナで、ドイツ歌曲と海老天は漢字って感じ?
京子:いいですか、まじめに答えても。エビフライと天ぷらは並列の別料理ですが、ドイツ歌曲とドイツリートは別物ではありません。ドイツ語で歌われる曲全般を「ドイツ歌曲」と呼び、その中でも詩とピアノ伴奏が一体となった芸術的な作品を特に「ドイツリート」と呼ぶのです。ですから、別々の料理ではなく、全体と一部の関係ですね。
キイロ:なるほどー! 海老の揚げ物全般と、その中にあるエビフライ、みたいな関係かあ。
(キイロ、何やらエビフライのころもをイメージしたように、手を動かす)
京子:ええと、油のころもの想像は、いったんやめていただいて、と。
キイロ:(うんうん、うなずく)よく分かりました。
まき:よかったです。
キイロ:エプロンは必須ですよね。油はね防止のメガネは、貸してもらえるのかな? ま、それはいいか、うちにもあるし。前向きに検討します!
(キイロ、踵を返して帰ろうとする)
京子:ちょちょちょちょ、待って。
まき:今の、ちょちょちょちょ、完璧なアレグロ・コン・ブリオ(快活に、威勢よく)のテンポ感です。
京子:(まきは無視して、キイロに)エプロンに油はね防止のメガネって、あの、これは歌の講座です。声楽ですよ。
キイロ:えっ、歌? お料理教室じゃないんですか。
京子:(きっぱり)歌です。ドイツ語の詩を美しく歌い上げる講座です。
キイロ:油で揚げるのではなく、歌い上げる、と。え〜、でも、この講座案内、どう見てもお料理のページに載ってますけど。
(キイロが持っていたパンフレットを京子とまきに見せる)
まき:おもしろそうな講座ばかりですよね。ふふふふふ。
京子:まきさん、私の講座が「クッキング・お料理入門」の2番めに入ってます。
まき:わあ、本当ですね。
京子:わあ、本当ですねって、あなた、なんで楽しそうなのよ。
まき:すみません。なんだか、わくわくしませんか、こういうのって。
京子:しません。(キイロと目が合う。興味津々の表情のキイロ)私は、しません。少なくとも、私は!
まき:でも、講座内容を読んでいただければ、「あ、載せるところを間違えちゃったんだな」ってわかってもらえますよ、きっと。
京子:よくそれで、副館長が務まるわね。いや、だから務まるのか。現にこうやって、ふたりも続けざまに勘違いした人が来たじゃないの。(もう一度、パンフレットを見直す)は? 「ドイツリートを上手に歌おう」が、「美味しく食べよう」になってる。どういうこと?
まき:本当ですね。「上手に」を「うまく」って考えてるうちに、「美味く」「美味しく」になっちゃったんですかね? 「美味しく食べよう。今夜はリートイット」って書いてありますね。
京子:何よその「今夜はリート・イット」って。リートは名詞よ。
キイロ:あ、それ、アル・ヤンコビックの「今夜はビート・イット」のパロディですね。もとは、もちろん、マイケルの「今夜はビート・イット」ですけど。
まき:わあ、キイロさん、若いのに詳しい。京子先生、知ってました?
京子:知らないわよ。知ってるけど、知らない!
キイロ:歌、聞きます?
京子:(食い気味に)聞かないわよ。だから、みんなエプロンを持ってこようとするのね。ちょちょちょちょ、ちょっと待って。私の隣に載ってる講座も、これ大丈夫?
まき:隣ですか。ええと、「ステップを踏んで炊き上げる! 情熱のフラメンコでパエリア」ですね。
キイロ:美味しそう。フラメンコを聞きながらパエリア作るんだったら、ありでしょう?
京子:フラメンコの講座かもしれないじゃない。
まき:フラメンコを習ったあとに、食べるのかも。本場の空気感が味わえそうです。
京子:あなたたちが、「味わう」とか、そういう言葉を使うから、どっかで間違うのよ。
キイロ:で、先生。この「今夜はリート・イット」講座は、結局、歌なんですか? それともエビフライなんですか。
京子:声楽の講座に決まってるでしょう。(間)ですが、皆さんせっかくエプロンを準備して、お料理の頭で来てくださるようですし。わかりました。鱒。
(京子、アポッジョで、息を体内に深く吸い込んで支えを作り、感情とエネルギーを込めて一気に放出)
まき・キイロ:ます?
京子:シューベルトの「鱒」を歌いながら、魚の下処理から始める形でも構いません。
キイロ:えー! 歌うんですか、さばきながら!
京子:ええ。フラメンコなんかに負けていられません。おなかから声を出して、マスのおなかからはワタを抜きます。料理も音楽も、どちらも生きた表現ですから。
まき:京子さん、受講生の方たちに寄せすぎですよ。
キイロ:「海老」って曲は無いんですか?
京子:やかましい! 「鱒」と言ったら「鱒」!
(幕)
作・千早亭小倉







