【登場人物】
矢尾 玲子:きさらぎタウンに暮らす主婦。自らを「ステキさん」と呼び、世界のすべてを都合よく解釈する。
矢尾 リリカ:玲子の娘。ここあん高校生。鋭い観察眼で母親の欺瞞を冷たく暴く。
酔酔亭 馬楼:元落語家で僧侶(本名、小林道照)。真っ赤な袈裟を身にまとっている。
【場面設定】
昼下がり。きさらぎタウンの矢尾家のリビング。矢尾リリカがソファで本を読んでいる。玄関のほうから玲子の声がする。

矢尾玲子:ちょっと来てみてちょうだい、プリンちゃん。
(矢尾リリカ、面倒くさそうに玄関にやってくる)
玲子:ついに世界が、このステキさんを見つけ出したみたいなの。
(胸に抱いた金色の封筒を、リリカのほうに突き出して見せる)
矢尾リリカ:なにその派手な封筒。(匂いを嗅いで、いやな顔)また怪しいダイレクトメールじゃないの? パパのカード使っちゃだめだからね。
玲子:フランス語で書いてあるから大丈夫よ。「国際コメディエンヌ会議」への招待状みたいなの。
リリカ:だから大丈夫って? 中身も怪し過ぎるんだけど。そもそも、なんでママがフランス語を読めるのよ。英語だって、現在完了もわからなかったくせに。
玲子:昔、クロワッサン屋さんでアルバイトしてた時に身に着けたのよ。
リリカ:クロワッサンって単語以外に、何を覚えられるのよ。ねえ、本当はどうやって読んだの?
玲子:スマホの中の優しい紳士が読んでくれたのよ。
リリカ:なんだ、自動翻訳じゃない。ねえ、わかってるだろうけれど、あれの中には人は入ってないからね。
玲子:プリンちゃんったら、おかしい。それ、だれに教えてもらったの? プリンちゃん、人が入ってるって思ってたんでしょう。
リリカ:(呆れ顔)あのね。
(玲子が封筒の中身を取り出し、スマホをかざす)
男性の声:レイコは、世界を魅了するコメディエンヌだよ。
玲子:美を極めた貴婦人ですって。
男性の声:ウィ。
リリカ:何が「ウィ」よ。そのスマホの中の「紳士」、別の人に交代してもらったほうがいいんじゃない?
(その時、玄関のポストがガサゴソ言う)
玲子:あら、またどこからか紹介状が届いたのかしら。(ドアを開く)今度は何?
(ガツンと言う音がして、ドアの外で赤い物体が転がる。赤い袈裟を着た酔酔亭馬楼)
酔酔亭馬楼:いたたたた。
玲子:どなた?
リリカ:馬楼さんじゃない。
玲子:あら、プリンちゃんのボーイフレンド?
リリカ:(呆れ顔)あのね。
玲子:いいのよ、プリンちゃんの好みは自由だから。
馬楼:(おでこをさすりながら)あ、リリカちゃん。今度さ、小古八幡の寺で落語会やるから、その案内くばってんだ。
リリカ:ねえ、下に管理人さんいなかった? ここのマンション、集合ポストへのチラシ投函もNGなのに。
馬楼:え、そうなの? 管理人のおやじが、馬楼が配って歩くんならいいよ、いいよって。
リリカ:(ため息)それ、馬楼さんの落語会なのよね。だれも行かないわよ、このあたりの自称マダムたちは。
玲子:あら、この方ったら、お笑いのプロの方? 何か感じるものがあって、うちをお訪ねになったのね。
リリカ:ねえ、ママ、今の話、何も聞いてなかったの? 落語会、ら・く・ご・か・い。(馬楼に向き直り)ねえ、馬楼さん助けて。この人がフランスのお笑い会議から招待されたのを、美の式典だと思い込んでて。
馬楼:お笑い会議? フランスの?(つばを飲み込む)
リリカ:(玲子から封筒を奪い取り、馬楼に見せる)「国際コメディエンヌ会議」だって。知ってる? 知らないわよね。
馬楼:コメディエンヌ。リリカちゃんのママに、人を笑わせる才があったなんて。それも世界が認める。
リリカ:(苦笑)「笑われる」の間違いでしょう、ママの場合は。
玲子:どっちも違う。ステキさんが舞台に立ったら、マドモアゼルたちが美しさにひれ伏して涙を流すわけだから。ここ、ここあん村みたいに。
リリカ:見たことがない。ここあん村でも、それ、見たことがないんだけど。
馬楼:涙。人情噺を極めるのに、高座で膝の皿すり減らしてきた俺の前で、よく言えたもんだ。
玲子:セサミ、摂りなさい、セサミ。ステキさんは、ただ優雅に歩く。そして、微笑む。それだけ。
馬楼:舞台の上で、一言も発さずに客を呑み込む、ってことかい?
玲子:存在そのものがステキなんだから、言葉なんて要らないのよ。
(馬楼が深く頷き、感極まったように呟く)
馬楼:言葉を捨てて、ただ歩く。その佇まいだけで客の息の根を止める。
リリカ:それじゃ、死んじゃうじゃない。
馬楼:リリカちゃんのママ、芸道の境地に達しているんじゃないかい?
リリカ:馬楼さん、騙されないで。自惚れだけなら、世界一だから。
馬楼:俺が一生かかっても辿り着けなかった表現が、こんな近くにあったのか。
リリカ:ねえ、聞いてる? 一生かかってって、何歳なの?
玲子:赤い人、ようやく理解できたようね。私の付き人として、一緒に海を渡ってみる?
馬楼:付き人。今日からあんたは、俺の師匠だ。いや、なまくらには断らなくてもいいのか? 落語家がふたりも師匠を持つって。
リリカ:馬楼さん、落語家やめて、もう長野のお寺の人になったんでしょう?
馬楼:そうだった。副住職の俺にとって、いまの師匠はおれの親父だった。だったら大丈夫か。喜んで、カバン持ちさせていただきますんで。
リリカ:お寺はどうすんのよ。馬楼さん、弟子入りに来たんじゃないでしょう?
玲子:さあ、レッドカーペットの歩行練習よ。赤い人。
馬楼:道照です。道照とお呼びください。
玲子:道照、手拍子を打つ稽古からよ。さあ、私に合わせて。(玲子が廊下をランウェイのように歩く)
馬楼:へい。こうですか?(手拍子を打つ)
(馬楼と玲子のテンポが合わない)
玲子:プリンちゃん、この赤い人、大丈夫かしら。
リリカ:どの点が?
(幕)
作・千早亭小倉





