箱庭小説「おはぎはんの正義」

梅雨の晴れ間というのは、夏の始まりを告げる気まぐれな祝祭だ。アスファルトから陽炎が立ちのぼり、昨日までの雨の名残をすっかり乾かしてしまう。風は湿り気をたっぷりと含んでねばつき、網戸を通り抜けては、部屋の中の空気とゆるやかに混ざり合った。

台所に立つおはぎはんは、その生ぬるい風に背中を押されるようにすり鉢に向かっていた。ラジオもテレビもつけない。聞こえるのは、窓の外で時折ひなびた声をあげる鳥の声と、遠くを走る電車の継ぎ目の音、そして、すりこぎが米粒を潰す、ぐっ、ぐっ、という鈍く規則的な音だけだった。

炊き立てのもち米の湯気が、甘い香りと共に立ちのぼり、おはぎはんの真剣な横顔を白く煙らせる。その瞳は、ただひたすらに米の粒を見つめていた。半分だけ潰し、米の食感を残す。それが彼女のやり方だ。誰に教わったわけでもない。何度も作るうちに、自分の舌が「これが筋だ」と決めた塩梅。すりこぎを持つ手には、無駄な力が入っていない。けれど、込められた圧力は常に均一で、迷いがない。額に滲んだ汗を、無造作に腕で拭う。その仕草すら、一連の作業に組み込まれた、流れるような動きの一部に見えた。

隣のボウルには、艶やかな黒い塊が物言わぬ存在感で出番を待っている。丹波産の黒豆を丁寧に炊き上げ、寸分の狂いなく裏ごしした、こし餡。彼女が作るおはぎは、これ一種類だけだ。きなこも、胡麻も、青海苔もない。小豆の、そのものの味がすべて。ごまかしのきかない真っ向勝負。

米を潰し終えると、今度は濡らした手のひらに餡をとり、ころり、と指先で転がして重さを確かめる。そして、同じ分量だけ米をとり、餡を包み込んでいく。指が触れるか触れないかの絶妙な力加減で、あっという間に、ふっくらとした俵形が生まれていく。それは工場の機械が生み出す均質さとは違う。ひとつひとつに、ほんのわずかな歪みや個性がありながら、全体として見れば、揺るぎない調和がとれている。彼女の作るおはぎは、彼女そのものだった。

十個のおはぎが出来上がると、おはぎはんは大皿に並べ、しばらくじっと眺めていた。自分の仕事に満足したのか、かすかに、ほんのかすかに口元が緩む。彼女は湯呑みに濃い番茶を淹れると、出来立てのひとつを、小さな皿にとった。

「いただきます」

誰に言うでもなく、けれど凛とした声で呟き、箸でそれを持ち上げる。大きな口を開けて、半分ほどを頬張った。もち米の確かな歯ごたえと、優しい甘さ。続いて、滑らかな餡が舌の上でとろけ、豆の深いコクと香りが鼻腔に抜けていく。砂糖の甘さではない、豆そのものが持つ、実直な甘み。

飲み込むと、ふぅ、と長い息が漏れた。それは安堵のため息のようでもあり、今日という一日を肯定する、静かな宣言のようでもあった。番茶をひとすすりして、口の中に残る甘さを洗い流す。残りの半分もゆっくりと味わい、食べ終えると、丁寧に箸を置いた。

やるべきことは、まだ終わっていない。

おはぎはんは、残りの九つのおはぎを経木の箱に詰めると、布巾で手を拭き、立ち上がった。洗い物を手早く済ませ、身支度を整える。Tシャツにジーンズという、いつもと変わらない服装だ。

箱を大事に抱え、玄関の扉を開ける。むわりとした熱気が、容赦なく肌にまとわりついた。ぎらぎらと照りつける西日が、目に痛い。彼女は目を細め、なぜか挑むような視線を太陽に送ると、すぐに歩き出した。

向かう先は決まっている。姉が働く地元のラジオ局FMここあんではない。商店街を抜け、古い住宅が立ち並ぶ小道に入る。日陰を選んで歩く彼女の目に、道端に打ち捨てられた空き缶が映った。昨日までの雨で、中には濁った水が溜まっている。おはぎはんは足を止め、ためらうことなくそれを拾い上げた。水を捨て、少し先にあるゴミ箱へと、自然な動作で放り込む。誰かが見ているわけではない。感謝されることもない。ただ、そこにあるべきではないものが、あるべき場所へと収まった。それだけのことだ。彼女にとっては、曲がった筋を、まっすぐに戻すのと同じくらい自然な行為だった。

やがて、一軒の家の前で足を止める。古いが磨き上げられた木のガラス戸は開け放たれ、裏手の縁側では、数人の老人たちが茶飲み話に興じている。ここが目的地だ。

おはぎはんは、背中をこちらに向けて縁側に腰掛け、ひときわ楽しそうに笑っている老婆に、小さく声をかけた。

「ばっしょいさん、これ」

その声に、ばっしょいがゆっくりと振り返る。深く刻まれた皺が、花のようにほころんだ。

「あら、おはぎはん」

おはぎはんは無言のまま、腕を伸ばし、ばっしょいが腰掛けている隣、空いていた板張りの上に、ことっと経木の箱を置いた。

「おやつ、つくったから」

おはぎはんは、それだけをぽつりと言った。

「いつも悪いねえ。さ、上がってお茶でも」

「ん、行く」

ばっしょいの言葉を遮るように、短く告げる。そして、老婆や周りの老人たちが何か言う前に、くるりと背を向けた。

「あらあら、照れちゃって」

「ねえ」

「可愛らしい」

背後でそんな声が聞こえたが、おはぎはんは振り返らない。自分の信じる「筋の通った」美味しいものを、届ける。やるべきことは、それで終わりだ。

再びぎらつく西日の中を、彼女はまっすぐに歩いていく。その背中は、誰に媚びることもなく、ただひたすらに実直だった。アスファルトに落ちる彼女の影だけが、静かにその後に続いていた。

(了)

作・千早亭小倉


おはぎはん|箱庭ここあん村の住人紹介
氏名:おはぎはん(本名は「宏原こはぎ」)年齢・性別: 22歳・女性肩書: ライター(現場主義のジャーナリスト)、劇団「かもかも」女優「こんなん、面白くないやん!」 と、相手の懐に土足で踏み込む直線的な関西弁が特徴の若手ライター。赤毛のベリー…
[コント台本・掌編 約600本]

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