どっちどっち

喫茶「小古庵」の昼下がり。店の神崎志乃ママが静かにカップを磨くカウンターから少し離れたテーブルで、文芸評論家の徒然士が大仰なため息をついた。
「実に嘆かわしい。今の世は、口を開けば敵か味方か、善か悪か、好きか嫌いか、正しいか正しくないか。思考が浅薄な二択に分断され、その中間にある豊穣なものが、すべて削ぎ落とされていく。まったく、こんなことばかりしていて楽しいのかね。ちょんまげ生えるわ!」
向かいの席で彼の話を聞いていた氷上静が、表情を変えずに口を開いた。氷上静は大学で哲学を教えている。
「徒然士先生。先生ご自身が今、その世界を『楽しいか、楽しくないか』という二つの物差しで測っていますね」
「や、やめてくれ!」
徒然士が、不意に急所を突かれたように身じろぎする。隣でそのやり取りを見ていた建築家の珠環が、面白そうに目を細めた。
「ふふ、面白いわね。徒然士さんは今、『やめる』か『続ける』か、その二択を突きつけられている」
「だから、そういうのが嫌いなんだって!」
徒然士が声を荒らげた、その時だった。
店のドアが勢いよく開き、真っ赤なオーバーオール姿の男が転がり込んできた。二つ目の落語家、酔酔亭馬楼だ。
「なんだなんだなんだ? 店の外まで聞こえてきたぜ。好きだ嫌いだって、そりゃ好きです好きですって歌うなら『巡恋歌』一択だろう! で、結局のところカラオケはDAM派かジョイサウンド派か、どっちって話かい?」
徒然士、静、環の三人の思考が、数秒間、完全に停止した。やがて、それぞれの視線が馬楼に集まり、一つの言葉が重なる。
「「「だまっとれ」」」
三方向からの非難を浴びても、馬楼は全く意に介さず、人をいらっとさせるひょっとこ顔で首を傾げてみせた。
「おいおいおい、今の『だまっとれ』は、『話の腰を折るな。後でじっくり聞いてやるから今はだまっとれ』って情けをかけておくれなのかい、それとも『てめえの話なんざ、未来永劫、聞く価値もねえんだよ。金輪際だまっとれ』って腹ん中見せてやがんのか! どっちなんでえ!」
徒然士は額に手を当て、静は面白い生き物を分析するように馬楼を見つめ、環は声を出さずに笑い転げている。
カウンターの向こうで、その一部始終を見ていた店のママ志乃は、磨き上げたカップをそっと棚に戻すと、かわいらしく片手を上げて呟いた。
「はい、コーヒーのおかわりが、いる人、いらない人……」
小古庵の古時計だけが、肯定も否定もせず、変わらないリズムを刻み続けていた。
(了)
作・千早亭小倉







