【登場人物】
はるひこ:10歳。小学5年生。左利き。
なつひこ:5歳。弟。いつも「らっら」と言っている。
まさよし:はるひこの父。弁護士。すぐ小言を言うが基本は無気力。
みちこ:はるひこの母。専業主婦。いつも疲れている。
【場面設定】
昭和47年、秋。成城のはるひこ家の居間。はるひこはエレクトーン教室から帰ってきたばかりで、めずらしくしょげている。みちこはソファに背中を深く沈め、天井のシミを見つめている。まさよしは不機嫌そうに新聞をめくっている。なつひこは床に十数本の白いレンゲをきっちり並べている。
はるひこ:ねえ、お父さん。エレクトーン教室の先生の家にあった、「フォスター」の伝記を読んだらね……。
まさよし:(新聞から目を上げず)フォスター? ああ、南極観測隊の妻が教える教室か。どうだ、南極の石は見せてもらったのか。
はるひこ:石は玄関に置いてあったよ。
まさよし:どうだった?
はるひこ:石はどうでもいいんだ。ねえ、フォスターって、「草競馬」を作った人だよ。
まさよし:作った人だよとは、何だ。
はるひこ:(それには応えず)あんなにドゥダー、ドゥダーって、楽しい曲を作ったのに、最後は「失意のまま孤独の中で死んだ」って書いてあったよ。
みちこ:(天井を見たまま重い声で)はる、私も、ほんとは嫌いなおみおつけを孤独の中で作っているのよ。
はるひこ:おみおつけの話じゃないよ。ドゥダー、ドゥダーって。ぼく、「草競馬」大好きなのに。ねえ、「失意のまま」とか「孤独の中」って何?
まさよし:なんだ、おんぱりそは「失意」や「孤独」が怖いのか。(新聞を強くめくる)芸術家なんてものは、常に世間と不和を起こすものだ。で、南極の石はどうだったんだ。
みちこ:ほら、はる。おとうさんが、ドゥダー、ドゥダーって、聞いてるわよ。
なつひこ: らっら、らっら……。
(なつひこは、並べたレンゲの端を指で弾く。カチン、カチンという音がする)
はるひこ:お父さんは、失意のまま孤独に死ぬ?
まさよし:なんだと、おんぱりそ! 私の辞書に、「失意」などという湿っぽい言葉はない!(おでこにしわを寄せ、頭からモアッと湯気を立てる)
はるひこ:おとうさんの辞書には、「失意」がのってないの? ぼくの辞書にだってのっていたのに。
みちこ:(ゆっくりと寝返りを打つ)それよりはる、お米屋さんが来たら、プラッシーの空き瓶を返しておいてね。
なつひこ:らっら、らっら。
はるひこ:なっちゃんの、らっらは、ドゥダー、ドゥダーに似てるね。(歌う)ドゥダー、ドゥダー。
なつひこ: だっ!
(なつひこが突然立ち上がり、テレビの前を横向きにぴょんぴょんと三回飛び跳ねる。そして元の場所に戻り、レンゲをじっと見つめる)
なつひこ: だっ!
はるひこ:ドゥダーって、どういう意味なんだろう。ねえ……。
(はるひこがまわりを見ると、まさよしはすでに自分の部屋に引っ込んでしまっていない。みちこはソファで寝ている。なつひこが「らっら、らっら」と言っている)
(幕)
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