【登場人物】
三成 ミツヒデ:ここあん大学日本文学科講師。テクストや会話をデータ化する解剖医。
いときち:ガールズバンド「栗きんとん99」のギター。常に金欠で情熱的。
【場面設定】
夜のここあん鉄道「タウン駅」の券売機前。ハイソな新興住宅地の玄関口に似つかわしくない、使い古されたギターケースを背負ったいときちが、財布の底を指で必死にほじくり返している。

いときち:……14、15、16と……あかん、あと20円足らん。
(券売機の真横に立っていた三成ミツヒデが、瞬き一つせずに口を開く)
三成 ミツヒデ:ガールズバンドの人? 気づいてますか? あなたのその不規則な硬貨の投入音と、肩を落とす絶望的なフォルムは、関西における「ボケ」の初期条件と完全に一致しています。何より、「あかん」がネイティブです。
いときち:(ビクッとして肩をすくめる)え、なんですか、お兄さん。いきなり。
ミツヒデ:失礼。ここあん大学の三成です。やや専門的すぎましたね。要するに、「あなたは今、隙だらけで、ひどく滑稽な様を晒している。つまり、横にいる僕にツッコミを要求しているのですね」ということです。
いときち:はあ!? だれが好き好き一休さんやねん! スタジオ代払って、財布の底に小銭しか残ってへん切実な現実や!
ミツヒデ:(穏やかに微笑み)素晴らしい。相手の事実の指摘に対し、感情的に反発してテンポを作る。典型的な「逆ツッコミ」の構造です。では、僕も最適解で応答しましょう。
(ミツヒデ、スッと真顔になり、一切の感情を排した平坦な声で)
ミツヒデ:チャリンチャリンって、そこは、賽銭箱ちゃいまっせ。
いときち:……は?
ミツヒデ:どうしました? 今のは、近松門左衛門から現代に至るデータ解析から導き出した、このシチュエーションにおける最も正しい比喩です。返しとしては、「オーディション合格しますように」「誰が神様やねん!」などが考えられます。「ほんまや」と、ボケ返すのもいいでしょう。さて、最も効率的な正解ルートは何だと思いますか、ガールズバンドの人?
いときち:あんた、なんかの病気か? 目ぇバキバキやんか! あ、三成……、ミツナリ、ミツナリ……聞いたことあるわ。「ミモフタさん」ってあんたのことか?
ミツヒデ:今は、笑いに集中してください。
いときち:何言うてんねん。もう、話しかけんといて。あと20円、どっかから捻り出さな、終電逃してまう……。
(いときちがジーンズのポケットの裏地まで引っ張り出して探る。三成が無言で自身の財布を開き、100円玉を指先でつまみ出す)
ミツヒデ:分かりました。では、僕から100円を融資しましょう。
いときち:(差し出された100円玉をじっと見て)ミモフタのお兄さん、変な人やと思ったけど、案外いい人なんやね。
ミツヒデ:ただし、貸すには条件があります。僕がこれから「なんや、結局おごってもらうんかい」という規定のツッコミを実行します。あなたはそれを合図に、僕の右肩の鎖骨下を、手のひらの付け根で軽く弾くように叩いてください。
いときち:(100円玉に伸ばしかけた手が止まる)……は?
ミツヒデ:過去50年間の上方漫才の映像データをAI解析した結果、それが客席に対して、「ああ、あれね」という正しいインパクトを与える、完璧な打撃のフォームなのです。さあ、早く。
いときち:気持ち悪っ! もう、貸さなくてええ、くれ!
(いときちがミツヒデから奪い取った100円玉を券売機に乱暴に押し込み、切符のボタンを押す。お釣りの10円玉が8枚、ジャラジャラジャラと派手な金属音を立てて受け皿にあふれる)
ミツヒデ:(溢れ出す10円玉をじっと見つめ、深く頷く)なるほど。機械側の硬貨排出の仕様を利用して、聴覚的な驚きで笑いを誘う。見事な「モノボケ」です。
(「プワ―ン」と電車が近づくホーンの音がする)
いときち:(小銭を焦ってかき集めながら)ただのお釣りやろ。どこに笑うとこあんねん。
ミツヒデ:では、僕も完璧なタイミングで応答します。
(ミツヒデ、目を見開き、少し上ずった声で、しかし顔は完全に無表情のまま)
ミツヒデ:お釣りも、全部、10円玉かーい。
いときち:(小銭を握りしめたまま、恐怖で顔を引きつらせる)…………。
ミツヒデ:(手元のタブレットを取り出し、静かにタップする)観測終了。笑いの発生による体温上昇、ゼロ。
いときち:ほら、アホ言うてないで、電車、来たで。
ミツヒデ:計算し尽くされたツッコミが完全にスベり、あなたの顔から血の気が引いていくこの冷酷な沈黙。僕の内部データが今、甘く書き換えられていきます。
いときち:(後ずさりする)80円返すから、もう勘弁して。
(幕)
作・千早亭小倉




