矢尾玲子は、今日もステキだった。
ここあん村の新興住宅地きさらぎタウンにおいて、彼女の右に出る者はいない。朝から完璧な巻き髪をキープし、成城が丘で買ったばかりのパステルカラーのワンピースを揺らして歩く。
「今日の風、パリを感じる。ということは、ステキさんも、パリにいるということね。パリがここよりステキかなんて知らないけれど」
誰に聞かせるでもなく呟きながら、はらほれ坂を下る。
いつものお気に入りのベンチに腰掛けてひと休みしていると、いつもは目に入らぬ路地に気がついた。それも、奥に向かって、暗くなるどころか、きらきらと輝いているように見える。
「私が知らないステキを、秘密にしておくなんて無理というものよ」
玲子は立ち上がると、路地の光に導かれるように、いや、実際は、自分のオーラでその光を跳ね返すように、奥へ奥へと歩いていった。
角を曲がったところで、唐突に景色が変わった。
目に突き刺さるような原色のネオン。金色の門。巨大な噴水。噴水の中央には、2頭のライオンの像が水を吐き出している。
門には「ようこそ! ギラギラ町へ!」と書かれてある。
「あらやだ。なに、このイルミネーションにネーミング。なんて品がない」
玲子が小首を傾げると、背後から声がした。
「お姉さん、ここは初めてかい?」
振り返ると、金色のスーツを着た男が立っていた。
「そうね。この町にとって、ステキさんは初めてでしょう?」
「お姉さん、名前は?」
「矢尾玲子よ。ステキさんの名前は、矢尾玲子」
「職業は?」
「ステキな主婦よ」
「じゃあ、夢は?」
「永遠にステキさんであり続けることね」
金色の男は鼻で笑った。
「ずいぶんと普通な夢だね。ここギラギラ町じゃ、世界征服とか年収百億とかがデフォの夢だから」
玲子は目を輝かせ、両手を頬に当てた。
「まあ、世界征服。なんて野蛮で泥臭いのかしら。ステキさんのこの完璧なオーガニック・オーラの前では、世界征服なんてお砂場遊びと同じことなのに」
「えっ? 泥臭い? 砂場にかけてるのか? たまたま?」
金色の男がたじろぐ。玲子は構わず金色の門をくぐり、通りを歩き出した。
今度は、前から女性がふたり歩いてきた。
「この前、三つ星の店行ったよ」
「へえ。私は、昨日五つ星ホテルで朝食食べた」
「気持ちだけでしょ?」
「そう。でも私の中では宿泊済みよ」
「相変わらず、ハートが強いね!」
玲子は立ち止まり、花が咲くような笑顔をふたりに向けた。
「あら、あなたたち。気持ちだけで五つ星だなんて、とってもステキな節約術だこと。ステキさんは昨日の夜、スーパー『人生』で特売だった、アジの干物をいただいたわ。ステキさんがお箸をつけた瞬間、そのアジが地中海のリゾートで泳ぐお魚に生まれ変わったの。アジもうれしそうに、ふっくらしてたわ。私の五つ星の食卓でね」
女性たちは口を開けたまま固まった。
「意味がわからない」
「リゾートで泳いでたアジって、美味しいの?」
「ステキさんの魔法の話よ。気持ちだけでなく、おなかもステキに満たされないと」
玲子はソプラノの笑い声を残し、さらに進んだ。

「ギラギラ町案内所」の看板が見える。玲子は迷わず窓口に向かった。
「ごきげんいかが? ステキさん、きさらぎタウンに帰りたいのだけれど。タクシーは呼べるのかしら?」
受付の女性が顔を上げる。
「きさらぎタウン? ああ、あのここあん村の」
「そうよ」
「だから、そんなに地味なのね」
受付の女性が玲子を上から下まで値踏みする。
「そのパステルカラーも普通だし。この町ではもっとギラギラ攻めないと」
玲子はふふっと上品に笑い、カウンターに身を乗り出した。
「ギラギラ攻めるのは、あなたたちのお仕事よ。このあたりのチカチカしたネオンは、ステキさんの奥ゆかしいオーラを引き立てるための、背景。私がこの町にいることで、初めてあなたたちのギラギラが役に立つのよ。『ステキさんを照らす照明』として」
受付の女性が目を見開く。
「な、何を言ってるの」
「その『受付』と書かれた板は、レフ板ということよ。だから角度にはよく気をつけてね。さあ、帰りの道を教えて。プリンちゃんが待っているから」
受付の女性は圧倒され、震える指で出口の方向を指し示した。
「タクシーではなく、歩けと? そうね、そのほうが、チカチカ町のみなさん、少しでも長く、ステキさんを見ていられるものね」
「ギラギラ町、ここ、ギラギラ町だから」
玲子は受付の女性の言葉には応えず、優雅に一礼すると、案内所を出た。
そのまま金色の門を抜ける。
背後のネオンが消えた感じがした。
玲子が振り向くことはなかった。いつも、前を向いて歩くのが、玲子だったから。
気がつくと、はらほれ坂のベンチに戻っていた。
玲子はショーウィンドウのガラスに映る自分を見つめ、前髪をミリ単位で整えた。
「うふふ。今日のステキさんも、完璧ね」
夕方。
娘のリリカが玲子を前に、深くため息をついた。
「で、ママは、そのキンキラ町だかギンギン町だかに行ってたせいで、私の三者面談をすっぽかしたって言うのね。どこにあるのよそんな町」
「わからないわよ、みんな私の背景なのだから」
頭の中に次から次に浮かぶ悪態が口をついて出ようとしたとき、リリカの目が、テーブルに開かれたノートに釘付けになった。弟太陽のいたずら書き帳だ。
(なに、これ)
ギラギラ町は、世界で一番強くて目立つ人だけが住める。地面は金色のブロック。空には太陽が3つあって、夜になっても絶対に暗くならない。息をするだけで全身からビームが出て、地味な人や普通の人は一歩も入れない。
住民1 ダイアモンド・レイコ
「宇宙で一番ピカピカなのは、あ・た・し!」
触れたものを全部宝石に変える。デザイナー。歩くだけで足跡が水晶になる。すれ違う人の地味な服を勝手に極彩色のドレスへ改造して去っていく。
住民2 ゴールド・リリカ
「おれの輝きで目がくらんだか! 百億回金肉を食え!」
純金の肉を配る無敵の肉屋。トラ柄の巨大バイクで爆走する。道行く人に金粉を浴びせて無理やりパワーを注入する。寝る時もサングラスを外さない。
住民3 マグマ・タイヨー
「気合が足りねえ! 太陽より熱く燃えろ!」
熱血校長。常に全身から炎のオーラを吹き出す。腕立て伏せをしながら通勤する。挨拶代わりに雷のようなハイタッチを繰り出す。
ギラギラ町のルール
1 服は金色か原色のチカチカ光るものしか着てはならない。
2 歩くときは堂々と胸を張り、一歩進むごとにでかい声で夢を叫ぶこと。
3 地味な服を着たり「普通」と口にしたりした者は、ビームで町の外へ一発退場にされる。
4 いちばんギラギラと目立って、すごいと町の王様になる。
玲子が不思議そうにリリカに尋ねた。
「どうしたの、プリンちゃん。卵が固まったような顔して」
リリカは、太陽のノートを静かに閉じるとこう返した。
「いつもの太陽のいたずら。ママを主人公にした小説を太陽が書いてるみたい。読まないほうがいいよ」
「あら、太陽が? 読まないわよ。小説より現実のほうがステキなんだから」
玲子のソプラノに、リリカの低いため息が重なった。
矢尾玲子は、今日もステキだった。
(幕)
作・千早亭小倉





