【登場人物】
矢尾 玲子:きさらぎタウンの主婦。自己愛の塊であり、自分のことを「ステキさん」と呼ぶ。
神崎 志乃:喫茶「小古庵」のママ。どんな話もニコニコと受け止める究極の聞き手。
徒然士:文芸評論家。小古庵の常連。完璧な様式美と倫理を重んじる。
【場面設定】
昼下がりの喫茶「小古庵」。 カウンター席で矢尾玲子が紅茶を飲みながら志乃に話しかけている。少し離れたテーブル席では、徒然士が万年筆で原稿に向かっている。

矢尾玲子:(紅茶のカップを置き、うっとりとため息をつく)ねえ、志乃さん、聞いてくださる? この前ね、ステキさんったら、パパのクレジットカードで勝手にエステの年間パスを組んじゃって。
神崎志乃:(カップを磨きながら)まあ、ずいぶんと思い切りましたねえ。
玲子:ええ。そしたら、パパがストレスで胃に穴が空いちゃったみたいなの。でもそれって、身体の中に新しい風が通るトンネルができたみたいで、すっごくステキだと思わない?
志乃:ふふ。矢尾さんは相変わらずポジティブですね。でも、旦那様がお可哀想。
玲子:可哀想よね。だからステキさんったら、パパが飲もうとしていた化学物質の胃薬、ぜーんぶ捨てちゃって。「代わりにこのオーガニックなハーブティーを飲みなさい」って。
徒然士:(ピタッと万年筆の手を止める。心の声:なんだと……? 痛む胃にハーブティーを流し込み、薬を捨てる? いかなる道徳的退廃か。「ステキさん」などというふざけた名で呼ばれているようだが、とんでもない悪辣な毒婦がいたものだ)
玲子:ステキさんのパパったら「頼むから薬を返してくれ」って泣き出しちゃって。でね、ステキさん、「涙は心の化粧水よ。もっと流して内側からデトックスしなさいな」って優しく諭して。もう、ステキさん、本当にブレないんだから!
徒然士:(ワナワナと肩を震わせ、ついに耐えきれずに立ち上がる)ええい、黙って聞いておれば!
玲子:あら、急にどうされたの? 一緒におしゃべりしたいの?
徒然士:そこの、あなた! 先ほどから耳に入っていたが、あなた、その「ステキさん」とやらとは、今すぐ縁を切るべきだ。倫理の欠如も甚だしい!
玲子:(きょとんとして)縁を切る? チョキンってしたくても、できないの。ステキさんとは固い絆で結ばれているのよ。
徒然士:洗脳でもされているのか! 志乃さんもだ! もしその「ステキさん」とかいうとんでも女がこの店に現れたら、即座に塩を撒いて追い返してやるんだな!
志乃:(困ったように微笑みながら)徒然士先生。ステキさんを追い返すなんて、私にはできません。だってステキさんは、この店を大好きでいてくださる大切なお客様ですもの。ねえ、矢尾さん。
玲子:(同意)ねえ。
徒然士:ぬわに? この、わしのオアシスである「小古庵」の調和を乱すような存在を容認するというのか。まったく、ちょんまげ生えるわ!
玲子:(両手を顔に当てて目を輝かせる)まあ、ちょんまげ! ステキさんも、ちょんまげ生えるわ!
徒然士:(呆然)は?
玲子:志乃さん、江戸時代はいまよりずっとずっと、エコロジーでオーガニックだったのよ。
徒然士:なっ……! そのどこぞの「ステキさん」とやらには、絶対に生やさせん! これは私の、不条理に対する完璧な嘆きのレトリックだぞ! 悪妻のアクセサリーではない!
玲子:もう、だれだか知らないけど、朝の時代劇で、ちょんまげいっぱい生えてるじゃない。独り占めはよくなくてよ。ねえ志乃さん、私たちも「ちょんまげ」、生やしちゃおうかしら。
徒然士:ええい、話が通じない! あなたも、その「ステキさん」とやら以上に、異常だ!
玲子:以上に、異常! ちょんまげ生えるわ! どう、使ってみたわ。
徒然士:ああ、もうダメだ。ちょんまげが……ちょんまげが五本は生えるわ!
(徒然士は頭を抱えてテーブルに突っ伏す。玲子は優雅に紅茶をすすり、志乃は変わらぬ笑顔でカウンターを拭き続けている)
(幕)
作・千早亭小倉
![[公式]箱庭の語り部 千早亭小倉](https://atelier-cocoan.com/wp-content/uploads/2026/04/20260410_125128.jpg)




