箱庭コント「エアコンの陰徳」

【登場人物】
徒 然士
:ここあん大学日本文学科講師。完璧な様式美を偏執的に信奉する。
金田 エリ:ここあん大学院生。進化心理学と行動経済学を専攻。己の強欲を生存戦略で正当化する。
鉄 美鈴:ここあん鉄道の駅員。過剰なまでに時間厳守と規則遵守を重んじる。

【場面設定】
深夜のここあん鉄道「3丁目駅」ホームの待合室。終電の到着が遅れている。待合室のベンチに座る徒然士と金田エリ。天井の業務用エアコンが、突如としてけたたましい駆動音を立てて自動清掃を始めている。

徒然士:やれやれ。静かな夜を台無しにする、この騒々しい機械音。現代の工業製品は、どうしてこうも自己を主張したがるのかね。

金田 エリ:徒然士先生。これは、自己主張ではないです。機械が自らの労働価値を可視化するための、極めて合理的なアピールです。

徒然士:アピールだと? 自己主張と同じだろう。

エリ:いえ、合理性があると言いたいのです。これは、進化心理学でいう「ハンディキャップ理論」と同じです。動物のオスが、天敵に見つかる危険を冒してまで派手な鳴き声でアピールするように、このエアコンも、あえて耳障りな音を立てるというリスクを負っています。しかし、そこには、「私はこんなに強力なモーターで掃除ができる、価値ある個体だ」と利用者に誇示するという意味があるのです。

徒然士:己の内部の埃を取るだけの行為を、見返りを求める手段にすり替えるとは。昔の職人は、着物の見えない裏地にこそ極上の絹を使ったものだ。それをわざわざ表にひっくり返して見せびらかすような真似は、誇りを自ら捨てる浅ましい行為だぞ。

エリ:先生は古い美意識に縛られすぎです。行動経済学の視点から見れば、誰にも見られない善行なんて、回収のあてがない不良債権と同じです。自分の優秀さを宣伝して、次回の買い替え時にも自分を選ばせる。これは立派な投資活動ですよ。

徒然士:他者の意識が及ばない深夜の駅で、ひっそりと自己を浄化して朝を迎える。それこそが「陰徳」の美しい型というものだ。それを「私は今、皆様のために掃除をしています」と大音量で知らせるなど、陰徳の皮を被った承認欲求の塊だ。美しくない、美しくない、美しくない!

エリ:3回言うほうがよっぽど……(少し呆れて)いえ、いいです。なんでもありません。

(そこへ、駅員の鉄美鈴が待合室に顔を出す。手に持った懐中電灯の光が、不自然に床を上下する)

鉄 美鈴:お客様。電車の到着が遅れ、まことにまことに申し訳ございません。いましばらくお待ちください。

徒然士:ああ、駅員さん。ええと、美鈴くんと言ったかな? 君もこの音を聞いてみたまえ。この承認欲求にまみれた見苦しい騒音を。そう、音でありながら、見苦しい。

エリ:先生、私はこの音に、投資を回収しようとするしたたかな生存戦略を感じますけどね。

鉄 美鈴:(エアコンを見上げ、懐中電灯を両手で強く握りしめる)おふたりとも、論点がずれています。問題は、承認欲求でも生存戦略でもありません。

徒然士:ほう?

美鈴:この自動清掃機能は、稼働時間が「約30分から50分」と、取扱説明書に極めて曖昧に記載されています。それこそがポイントです。

エリ:え、そこ? 曖昧であることが論点だと? 汚れの量によって清掃時間が変わるのは、機械として当然のことでしょう。

美鈴:当然ではありません! いえ、当然であってはなりません! この20分もの変動幅は、私が守るべき駅の閉鎖スケジュールに対する、重大な反逆です!

徒然士:ハンギャク? そこまで言うか。

美鈴:はい! 私は、清掃が終わって電源ランプが完全に消えるのを確認してから、この待合室を施錠することにしています。であるのに、昨日は35分、一昨日は42分と、終了時間が毎日違うのです!

エリ:それは単なる維持管理のコストだとは考えられませんか? エアコン掃除を外部に委託する費用を節約できているのだから、数十分のズレくらい、利益で相殺されていると考えるべきですよ。

美鈴:その利益には、私の睡眠時間は含まれていません! 私は1秒の狂いもなく運行ダイヤを守っているのに、この機械は平気で時間を曖昧にする! 自分の汚れ具合で他人の時間を奪うなんて、同じチームの一員として、断じて許せません!

徒然士:チーム。

エリ:一員。

(そのとき、エアコンの駆動音がひときわ大きくなり、ガコンという鈍い音と共に、吹き出し口から黒い汁のような塊がぼとぼとぼとと床に落ちる)

徒然士:ひぃ。(床に落ちた塊を見つめ、開こうとした扇子をピタリと止める)陰徳どころか、表に汚れを落としたぞ。故障か? これでは、昭和の時代にいた、道端にたんを吐くオヤジと同じではないか?

エリ:(黒い塊から1歩後ずさりし、肩に掛けたカバンの紐を強く掴む)投資の失敗ですね。これではただの不良債権です。

美鈴:(黒い塊を指さし、肩で息をする)落下物、確認! 待合室の施錠ダイヤに、大幅な遅延が発生! ああ、誰かこの無秩序を止めてください!

徒然士:ちょんまげ生えるわ。

(そこへ、床の隅で充電ドックに収まっていた円盤型の自律清掃端末が、低く優美な駆動音を立てて滑り出す)

徒然士:ん? なんだあの丸い這い回る物体は。

エリ:ルンなんとかという、自動床面清掃端末ですね。おそらく、この駅の備品でしょう。

美鈴:このルンなんとかの稼働スケジュールは、終電が完全に去った後の深夜2時に設定されているはずです。なぜ、起動したのでしょう?

(円盤型の端末は、誰の指示も受けず、まっすぐにエアコンの真下へと滑走する。そして、エアコンが吐き出した黒い塊の前にぴたりと停止する)

エリ:まるで、エアコンから落下物があることを予期していたかのような動きですね。

徒然士:見たまえ。あの端末のセンサーが、エアコンの排出した黒い塊を正確に捉えているじゃないか。まるで、エサをもらうアシカかアザラシのようだ。

エリ:アシカにもアザラシにも見えませんけれど。喜んでいるようではありますね。

(ルンなんとかが、小さなブラシを器用に回転させ、床の黒い汚れを音もなく清掃する。その一連の滑らかな動作には、機械的な効率を超え、どこか優し気でさえある)

美鈴:あんなに汚れていた床が、一瞬できれいになりました。私の施錠スケジュールを狂わせるものが、跡形もなく。ここあん鉄道のチーム力の勝利です。

徒然士:先ほどまで「自己主張の塊」であったあのエアコンの本体ランプが、このルンなんとかの行いの前で、穏やかに輝いている。

エリ:アルトルイズム。一方的な、見返りを求めない献身。進化心理学でいう「相互協力のシグナリング」などではない。これは「利他」です。

徒然士:自己犠牲。深夜のホームで行われるこの連携こそ、真の「陰徳」ではないかね。

美鈴:滅私奉公。いえ、奉コン。電車の運行ダイヤだけが世界のすべてだと思っていた私の視野が、少し恥ずかしくなりますね。この2台は、私たち人間が忘れた規律と救済の美学を体現しているかのようです。

エリ:(カバンの紐から手を離し、感嘆したように目を細め)認めたくはありませんが、経済合理性の枠外にある美しい共生関係ですね。これを見てしまうと、私の生存戦略論も少し色あせて見えます。

徒然士:騒音ではなく、美しい鎮魂歌レクイエムを聞かせてもらった気分だ。

(円盤型の端末は、清掃を終えると、エアコンに向かって一礼するかのようにわずかにセンサー部を上空に向け、静かに充電ドックへと帰還していく。天井のエアコンもまた、それに応えるように微かな駆動音を一瞬立てて完全に沈黙する)

エリ:今夜はいいものを見せていただきました。

徒然士:さあ、美鈴くん、扉を閉めるがよい。今夜の3丁目駅は、これ以上ないほどに美しく静まり返っている。

美鈴:おふたりとも、終電がもうすぐ来ますよ。乗らないんですか?

(幕)

作・千早亭小倉

[コント台本・掌編 約600本]

主な舞台は、椎名町三丁目から広がる箱庭「ここあん村」。箱庭コント作家・千早亭小倉の手による、どこか懐かしい日常劇やクスッと笑えるコメディ、沁みる掌編を絶賛公開中です。これからも「読むシットコム」の世界を追究していきます。
*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI. *無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|箱庭コントを紡ぐ 話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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