【登場人物】
航 三津子:ここあん大学の若き学長。温泉宿「ジャッポーン」の番台に座り、大学を銭湯と同じ温度感で管理する。
小庭 千和:大学事務局員。効率と事務のルールを絶対視する。
天野 光:ここあん高校の女子生徒。部活帰りに「ジャッポーン」を利用中。なんでも肯定する。
【場面設定】
巨大塔「ペンタ」の奥深くにある温泉宿「ジャッポーン」。湯気が立ち込める脱衣所と、そこを見下ろす番台。

航 三津子:こにゃにゃちわ。
小庭千和:「こにわ」ではなく、「こば」です。「こばちわ」です。人の名前で遊ばないでください。学長、決裁はペンタの学長室でお願いします。ここだと、書類が濡れますから!
三津子:あそこは事務がはかどらないのよ。村長の変な口癖が聞こえてくるし。「てへぺろ」「てへぺろ」って。
千和:(それには応えず)それに、この100万円の機材購入の承認印の欄に、なんで下足札が2枚も挟んであるんですか!
三津子:今週から、決裁方法を変えたのよ。(番台で頬杖をつきながら)ハンコなんて、その辺の文房具屋で誰でも買えるじゃない。でも、その七番と四十二番の木札の組み合わせは、世界にひとつしかないの。偽造不可能な、物理二要素認証よ。
千和:二要素認証って、ただの風呂屋の木札が2枚! 世界にひとつでもなんでもないです。こんな分厚い木片を2枚も貼り付けられた決裁書、見たことが……!
三津子:見たことが、ない? 素晴らしいじゃない。
千和:ファイルにも綴じられない! 経理の担当者が困惑します!
三津子:困惑なんてしないわよ。話はちゃんと通してあるから。新しい認証デバイス入れたの気づかなかった?
千和:認証デバイスですか?
三津子:そう。一から五十までの穴が空いた「ミニ下足箱型スロットリーダー」よ。一から五十の札の組み合わせで1200通り以上のパターンが作れるから、セキュリティも完璧。
千和:下足箱型スロットリーダー!?(独り言)そんなもの、どこで売ってるの? まさか、特注?(三津子に)1200通りで、ほんとに完璧なんですか? 学長のおふざけの情報が多すぎて、私がまず処理できません。
三津子:ふざけてなんかないわよ。あなたが七番と四十二番の木札を持って帰って、スロットリーダーの2つの穴に同時にカチッと差し込むでしょう? そうするとシステムが「七と四十二の同時挿入=100万円の機材購入承認」って自動検知して、画面に「決裁完了!」って出るから。印鑑を目視確認するより楽でスピーディーでしょう?
千和:きっと、楽でもスピーディーでもないです。無駄にハイテクなのか、いやローテクなのか。
三津子:うまくいかなかったら、言ってね。
千和:いかないこともあるんですか。なんでまた、こんなことを。
三津子:面白いから。
千和:学長の趣味に大学の予算システムを巻き込まないでください!
(そこへバスタオルを首にかけ、牛乳瓶を持った天野光が現れる)
天野 光:(三津子に)学長、お風呂、最高でした。(木札を2枚持っている千和に)あ〜、おばさん、下足札はひとり1枚ですよ。
三津子:(笑って)ほんと、困ったおばさんね。
千和:(三津子に)はぁ?(光に)これは違うのよ。それより、あなた、ここあん高校の学生よね。いま大人の大事な話をしてるから。
三津子:話は以上よ。ほかに質問は?
(千和、稟議書と木札2枚を、おしゃれな薄型のかばんにしまおうとするが、入らない)
光:その紙と2枚の木札を、輪ゴムでぐるぐる巻きにして、持ってけばいいですよ。プレゼントみたいに可愛いくして。
(光が、番台の横に吊り下がっていた太い輪ゴムで、稟議書と2枚の木札を器用にぐるぐる巻きにする)
三津子:あら、意外といいじゃない。ほんと、プレゼントみたい。物理キーと書類の完全カプセル化ね。
千和:カプセル化って言えば聞こえはいいですけど。(光から受け取ったものをかばんに入れようとする)ああっ。
三津子:どうかした?
千和:可愛くなった分、よけいにかばんに入らなくなったじゃないですか。
三津子:それなら、これを使いなさい。(番台の下から黄色の可愛い洗面器を取り出す)42℃のお湯をかけないとフタが開かない「ここあちゃんの顔入りサーモ・セキュリティ洗面器」よ。
千和:ここあちゃん。ここあん大学のゆるキャラ。初めてグッズを見たわ。
(千和、出ていこうとする。三津子が呼び止める)
三津子:ちょっと待って、どうせだから服を脱いでひと風呂浴びていきなさい。
千和:は? はあ?
三津子:お風呂からあがったら上気したすっぴんで、バスタオルでも肩から羽織ってその洗面器を小脇に抱えて歩くの。そうすれば、ペンタに入ってもただの「風呂上がりの事務員」にしか見えないでしょう? 誰も100万円の決裁書を持ってるなんて怪しまない。
光:あ、学長さん、天才! 木を隠すなら森にですね。
千和:なんか違う。雑木林に咲いたひまわりくらい目立ちそう。雑木林に咲いたひまわりくらい。
三津子:2度も言わなくていいわよ。
千和:経理に稟議が通ったと伝えにいくためだけに、なんで私がスーツを脱いで風呂に入らなくちゃいけないんですか! めんどくさい、めんどくさい、めんどくさい! いろんな意味でめんどくさい。
三津子:こにゃにゃちちゃん、ここでキレちゃだめ。その木札、ここへ返しに来てもらわなきゃいけないんだから。そこまでが、お使い。
千和:なんでですか!
三津子:当たり前でしょう? その札がないと、後から来たお客さんが七番と四十二番の靴箱に靴をしまえなくて困るじゃない。番号にこだわりがある人が多いのよ、ここあん村は。
光:あ、わかります。私はこれ。
(光が1番の木札をふたりに見せる)
千和:大学の最高決裁を、下駄箱の稼働とまぜこぜにしないで!
(千和、膨らんだ書類とかばんなどを持って、脱衣所に向かう)
三津子:(千和の尖った背中にやさしく声をかける)よくあったまるのよ。
光:(千和に)おばさん、靴、靴、脱がないと。
(幕)
作・千早亭小倉





