【登場人物】
氷上 静:現代思想家。ブックカフェ「シズカ」オーナー。事象を論理や構造で解体しようとする。
真木 まき:ここあん村立図書館副館長。厳しい現実や理屈をメルヘンに翻訳して受け止めるしなやかさを持つ。
中野 小春:静のブックカフェの共同オーナー。静のパートナー。理屈よりも感覚と温度を大切にする。
【場面設定】
ここあん湖畔のブックカフェ「シズカ」。窓際のテーブル席で、真木まきがハーブティーを飲んでいる。氷上静は、壁際の書棚に並ぶ本の背を目で追っている。中野小春は、カウンターの中で、洗ったカップを清潔な布巾で拭き上げている。

真木まき:静さん、「準備」と「用意」って、なんだか双子の姉妹みたいですよね。お顔は似ているけれど、性格が全然違う。
氷上 静:(文庫本から顔を上げ)双子の姉妹。性格はどう違うのかしら。
まき:「準備」ちゃんは、前の日の夜に明日の服をハンガーにかけておく、しっかり者のお姉さん。「用意」ちゃんは、朝起きて「今日は寒いからやっぱりマフラー巻こう」って、タンスから急いで引っ張り出す、機転の利く妹さん。
静:なるほど。「準備」は段階的なプロセスで、「用意」は直前の即応性があるというわけね。語源から見ても、準備の「準」は水準器を当てて平らにすること、「備」はあらかじめ揃えること。対して、用意は「意を用いる」、つまりその場での心の働きを指す。あなたの直感的な分類は的を射ているわ。
中野小春:(カップを磨きながら)私は「用意」のほうが好きかな。なんだか、その場に合わせて急いで動いてくれる感じが、温かいから。
まき:そうなんです。雨が降ってきたらパッと傘を出してくれる、身軽な妖精さんなんですよ。
静:(小さくため息)妖精さん。(本を閉じ)ねえ、待って。まきさん、その分類には一つ、決定的な矛盾があるわ。
まき:矛盾、ですか?
静:「用意周到」って言うでしょう。何日も、あるいは何か月も前から抜かりなく綿密に計画を練り上げる、まさにプロセスと段取りの極致とも言える行為。あなたの定義なら「準備周到」となるべきなのに、なぜ直前の即応性を意味する「用意」が使われているのかしら。
小春:用意周到? たしかに、しっかり者のお姉さんっぽい言葉だね、静ちゃん。
静:そう。姉だの妹だのという例えにも言いたいことがあるのだけど、それはひとまずおくとして、用意周到は、直前のモノの手配どころか、長期的な計画そのものを指している。あなたの(ため息)妹さんの設定は、ここで完全に破綻するわ。
まき:(ハーブティーのカップを両手で包み込み、ふふっと笑う)破綻なんてしていませんよ。
静:どうして。
まき:「用意周到」さんは、お姉さんでも妹さんでもないんです。カバンの一番底に、いつでも絆創膏と安全ピンを隠し持っている、とっても心配性なリスさんなんですよ。
静:(声が裏返る)リ、リスさん?
まき:はい。リスさんが秋にどんぐりを土の中に隠すのは、何か月も前の「準備」に見えるかもしれません。でも本当は、冬の朝にお腹が空いて目が覚めたとき、「あ、ここにあった!」ってすぐに取り出すための、ちいさな「用意」の集まりなんです。だからこその、用意周到。
静:(言葉に詰まり、こめかみを押さえる)長期的な段取りを、無数の即応的アクションの集積として再定義したということ? 屁理屈でしかないけれど、ずいぶんと強引に、論理の隙間をメルヘンで埋め立てたものね。
小春:でも、心配性なリスさんって、なんだか静さんみたいだね。
静:私は、カバンの底にどんぐりを隠したりしないわよ。
小春:どんぐりじゃなくて、難しい言葉の飴玉。いつもたくさん持ってるじゃない。
まき:ふふふ。静さんの飴玉、私にもひとつくださいな。
静:あげないわ。あなたのそのふんわりとした胃袋じゃ、私の理屈っぽい飴玉は消化不良を起こさせるだけ。
小春:はいはい。難しいお話はおしまい。そろそろ、夜の仕度をしないと。
まき:支度。
静:支度、ね。
小春:なに、ふたりとも。
静:小春らしい。
まき:ですね。
(幕)
作・千早亭小倉






