箱庭コント339「モーレツ当たろう」

【登場人物】
徒然士
:ここあん大学日本文学科講師で文芸評論家。完璧な様式美を愛し、大仰な講釈を垂れる。
辻さゆり:フリーランスの校正者。無駄な装飾を冷徹に削ぎ落とす言葉の外科医。

【場面設定】
昼下がり。編集プロダクション「ぽんちょ」の打ち合わせスペース。卓上には徒然士の原稿用紙と、辻さゆりの赤ペンが置かれている。

徒然士:おい、辻くん。この原稿の3行目だがね。私が心を血にして選んだ「しとしと」という描写に、なぜ鉛筆でトル詰めの指示が入っているのだね。

(辻さゆりは赤ペンを指に挟んだまま、手元の原稿用紙へ視線を向ける)

辻さゆり:直前の2行目に「ぽつぽつ」とあります。同一場面における降水描写の重複として、整理を提案しました。

徒然士:重複だと? 馬鹿を言い給え。「しとしと」と「ぽつぽつ」は、天と地ほどに違うのだよ!

さゆり:どちらも大気中の水滴が地上に落下する現象のオノマトペです。同一段落内で連続して使用すると、読者の認知負荷が上がります。

徒然士:認知負荷などという無粋な物差しで文学を測るな! これは降水の密度の問題ではないのだよ。事象の背後にある精神の質感がまったく違うのだ。例えて言うならだな、赤塚不二夫の『もーれつア太郎』の「ア太郎」と、童謡『たき火』の「あたろうかあたろうよ」の「あたろう」くらい違う!

(辻さゆりは赤ペンを卓上に静かに置く。硬い音がひとつ鳴る)

さゆり:前者は昭和期の人気漫画作品の主人公の固有名詞であり、後者は動詞「当たる」の未然形に意志・勧誘の助動詞「う」が接続した活用形です。

徒然士:そこではない! いや、そこだ! 同じ雨だからと十把一絡げに処理するような大雑把な真似を、君は私の文章に対して行っているのだよ!

(徒然士は着物の襟元を弄り、懐から手ぬぐいを出して額の汗を拭う。辻さゆりは瞬きもせず、平坦な眼差しを真っ直ぐに向ける)

さゆり:私は大雑把な作業などしておりません。原稿用紙1枚あたりの情報伝達効率を適正化しているだけです。先生のその「あたろう」論でしょうか……それを欄外の注記として掲載するわけにもいきません。

徒然士:注釈のために言ったのではない。たとえ話だよ。たとえ話! 冷徹な朱入れも結構だが、言葉の肉付けを削ぎ落としていると言っているのだ。濡れた石畳に触れたときの冷たさ、軒下で雨宿りをする際の手持ち無沙汰な時間、そうした生活の手触りが「しとしと」には詰まっているのだよ。

さゆり:「ぽつぽつ」には詰まっていないのでしたら、そちらを削りますか?

徒然士:何を言う! 「ぽつぽつ」は雨が傘の布地を弾く、始まりの予兆だ。卵の黄身が落ちてくるような重みと、胡麻粒が散らばるような弾け方の違いなのだよ!

さゆり:(左を向き)卵の黄身と、(右を向き)胡麻粒。

徒然士:そうだ! それほどまでに重力と触感が異なる! これを同一の雨だからとまとめて削削しようとするのは、文化に対する暴挙だ!

さゆり:「削削」は、痩せ衰えて弱々しいさまを意味する漢語です。文脈に合致しませんし、削除の一語で意図は正確に伝わります。

徒然士:字面の重なりによる強調の修辞だよ! 君は相変わらず、私の様式美をちっとも理解しようとしない!

(辻さゆりは卓上の赤ペンを拾い上げ、原稿用紙の余白に極めて小さな字でメモを書き加える)

さゆり:理解しようとしています。ですから、先生の仰る「しとしと」の黄身のような重みを生かすために、直前の「ぽつぽつ」の方を削る案を出します。

徒然士:何だと? 始まりの「ぽつぽつ」を私から奪うというのかね!

さゆり:先ほど先生は、「ぽつぽつ」は雨の始まりの弾け方とおっしゃいました。その直後に長雨の重い質感「しとしと」へと移行するなら、どちらか一方を際立たせる方が、文章の骨格が引き締まります。「ア太郎」の「あたろう」を生かすために、たき火のほうは消化した格好です。

(徒然士は腕を組み、視線を天井の木目へと泳がせる)

徒然士:うーむ。際立たせる、と。しかしだな、「あたろうかあたろうよ」の温もりもまた、この導入部には捨てがたいのだがね。

さゆり:それでは結局、原案のまま両方を残すことになり、整理になりません。

徒然士:そこを両立させるのが、プロの校正者の腕というものではないのかね、辻くん!

さゆり:私は文章の外科医であって、手品師ではありません。重複した組織を切除するのが業務です。

(徒然士は大げさに肩を落とし、卓上の冷めた珈琲を一口飲んで露骨に眉をひそめる)

徒然士:まったく、君と話していると、頭からちょんまげが生えるわ。

さゆり:生えていません。頭皮の毛根密度と毛周期の問題です。

(幕)

作・千早亭小倉


徒 然士|箱庭ここあん村の住人紹介
氏名:徒 然士(ただ ぜんじ)年齢・性別: 51歳・男性肩書: 小説家、文芸評論家、私立ここあん大学日本文学科講師・・・はっ、さて。諸君、静粛にしたまえ。これから、このわぁたくしが、わぁたくし自身のことを、わぁたくしのために語ってやろうとい…
辻さゆり|箱庭ここあん村の住人紹介
氏名:辻 さゆり(つじ さゆり)年齢・性別:28歳・女性肩書:フリーランスの校正者極めて合理的で情緒的な混乱を嫌い、機能美と静寂を愛する「言葉の外科医」です。仕事では原稿の無駄な装飾や論理の破綻を容赦なく赤字で削ぎ落とすため、周囲からは冷徹…
編集プロダクション「ぽんちょ」|箱庭ここあん村の中心スポット
椎名町三丁目の古い雑居ビルにある、外界の「よもやま」を引き受ける泥臭い拠点。古河モン太郎47歳。社長。元演歌歌手。豪快だが小心者。直感で「生のエネルギー」を見抜く。臼葉36歳。ぽんちょ社員。奇行が多い。徒然士の原稿を書き直した過去がある。鶴…
[コント台本・掌編 約600本]

主な舞台は、椎名町三丁目から広がる箱庭「ここあん村」。箱庭コント作家・千早亭小倉の手による、どこか懐かしい日常劇やクスッと笑えるコメディ、沁みる掌編を絶賛公開中です。これからも「読むシットコム」の世界を追究していきます。
*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI. *引用の範囲を超える無断転載・複製を禁じます。 Copyright © 2025-2026 千早亭小倉|箱庭コントを紡ぐ 話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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