【登場人物】
徒然士:ここあん大学日本文学科講師で文芸評論家。完璧な様式美を愛し、大仰な講釈を垂れる。
辻さゆり:フリーランスの校正者。無駄な装飾を冷徹に削ぎ落とす言葉の外科医。
【場面設定】
昼下がり。編集プロダクション「ぽんちょ」の打ち合わせスペース。卓上には徒然士の原稿用紙と、辻さゆりの赤ペンが置かれている。

徒然士:おい、辻くん。この原稿の3行目だがね。私が心を血にして選んだ「しとしと」という描写に、なぜ鉛筆でトル詰めの指示が入っているのだね。
(辻さゆりは赤ペンを指に挟んだまま、手元の原稿用紙へ視線を向ける)
辻さゆり:直前の2行目に「ぽつぽつ」とあります。同一場面における降水描写の重複として、整理を提案しました。
徒然士:重複だと? 馬鹿を言い給え。「しとしと」と「ぽつぽつ」は、天と地ほどに違うのだよ!
さゆり:どちらも大気中の水滴が地上に落下する現象のオノマトペです。同一段落内で連続して使用すると、読者の認知負荷が上がります。
徒然士:認知負荷などという無粋な物差しで文学を測るな! これは降水の密度の問題ではないのだよ。事象の背後にある精神の質感がまったく違うのだ。例えて言うならだな、赤塚不二夫の『もーれつア太郎』の「ア太郎」と、童謡『たき火』の「あたろうかあたろうよ」の「あたろう」くらい違う!
(辻さゆりは赤ペンを卓上に静かに置く。硬い音がひとつ鳴る)
さゆり:前者は昭和期の人気漫画作品の主人公の固有名詞であり、後者は動詞「当たる」の未然形に意志・勧誘の助動詞「う」が接続した活用形です。
徒然士:そこではない! いや、そこだ! 同じ雨だからと十把一絡げに処理するような大雑把な真似を、君は私の文章に対して行っているのだよ!
(徒然士は着物の襟元を弄り、懐から手ぬぐいを出して額の汗を拭う。辻さゆりは瞬きもせず、平坦な眼差しを真っ直ぐに向ける)
さゆり:私は大雑把な作業などしておりません。原稿用紙1枚あたりの情報伝達効率を適正化しているだけです。先生のその「あたろう」論でしょうか……それを欄外の注記として掲載するわけにもいきません。
徒然士:注釈のために言ったのではない。たとえ話だよ。たとえ話! 冷徹な朱入れも結構だが、言葉の肉付けを削ぎ落としていると言っているのだ。濡れた石畳に触れたときの冷たさ、軒下で雨宿りをする際の手持ち無沙汰な時間、そうした生活の手触りが「しとしと」には詰まっているのだよ。
さゆり:「ぽつぽつ」には詰まっていないのでしたら、そちらを削りますか?
徒然士:何を言う! 「ぽつぽつ」は雨が傘の布地を弾く、始まりの予兆だ。卵の黄身が落ちてくるような重みと、胡麻粒が散らばるような弾け方の違いなのだよ!
さゆり:(左を向き)卵の黄身と、(右を向き)胡麻粒。
徒然士:そうだ! それほどまでに重力と触感が異なる! これを同一の雨だからとまとめて削削しようとするのは、文化に対する暴挙だ!
さゆり:「削削」は、痩せ衰えて弱々しいさまを意味する漢語です。文脈に合致しませんし、削除の一語で意図は正確に伝わります。
徒然士:字面の重なりによる強調の修辞だよ! 君は相変わらず、私の様式美をちっとも理解しようとしない!
(辻さゆりは卓上の赤ペンを拾い上げ、原稿用紙の余白に極めて小さな字でメモを書き加える)
さゆり:理解しようとしています。ですから、先生の仰る「しとしと」の黄身のような重みを生かすために、直前の「ぽつぽつ」の方を削る案を出します。
徒然士:何だと? 始まりの「ぽつぽつ」を私から奪うというのかね!
さゆり:先ほど先生は、「ぽつぽつ」は雨の始まりの弾け方とおっしゃいました。その直後に長雨の重い質感「しとしと」へと移行するなら、どちらか一方を際立たせる方が、文章の骨格が引き締まります。「ア太郎」の「あたろう」を生かすために、たき火のほうは消化した格好です。
(徒然士は腕を組み、視線を天井の木目へと泳がせる)
徒然士:うーむ。際立たせる、と。しかしだな、「あたろうかあたろうよ」の温もりもまた、この導入部には捨てがたいのだがね。
さゆり:それでは結局、原案のまま両方を残すことになり、整理になりません。
徒然士:そこを両立させるのが、プロの校正者の腕というものではないのかね、辻くん!
さゆり:私は文章の外科医であって、手品師ではありません。重複した組織を切除するのが業務です。
(徒然士は大げさに肩を落とし、卓上の冷めた珈琲を一口飲んで露骨に眉をひそめる)
徒然士:まったく、君と話していると、頭からちょんまげが生えるわ。
さゆり:生えていません。頭皮の毛根密度と毛周期の問題です。
(幕)
作・千早亭小倉





