
休館日。静寂に包まれたここあん村立図書館内。
2階フロアの隅にある作業机は、除籍された本の山が地層のように連なり、さながら発掘現場のようだった。年に一度のブックリサイクル市に向け、役目を終えた大量の蔵書を来場者に気持ちよく譲り渡すための、地道で膨大な準備作業が続いているのだ。
「いいか、菜箸。この平台3台分の作業、1時間弱で終わらせておけ。真木さんと鈴木さんも、彼女をしっかりサポートするように」
腕組みをした館長の高島雅也が、いつも通りの険しい表情で言い放つ。ガラス張りの館長室に戻っていくその背中を見送りながら、菜箸千夏は「はいっ!」と元気よく返事をした。
「1時間弱、ね。よし、頑張ろっ!」
千夏は気合を入れ直すように、腕まくりをした。1時間より、少しだけ短い時間。五十分くらいが目安だろうか。テキパキと古書を手に取り、ジャンルごとに仕分けを始める。
「ちなっちゃん、すごい集中力ねえ」
隣でポップ用の色画用紙を、うさぎさんの形に切り抜きながら、先輩の真木まきが首を左右に傾げ微笑んだ。うさぎの真似をしているのかもしれない。
「ええ、だって1時間弱ですから。急がないと」
「そうそう、1時間弱よね。でもそれって、1時間よりは長いのよね? 不思議の国のティーパーティーみたいに、時間の流れが少しだけ伸びるような、そんな素敵な時間かしらって思ったのだけど」
まきが、また左右に首を傾げてみせる。
「え?」
千夏の動きがぴたりと止まる。
まきのメルヘンチックな解釈に思考が停止したところに、段ボール箱から本を雑に取り出していた同僚の鈴木美桜が「あ、それ私も思いました」と追い打ちをかけるように、首を傾げた。こっちは、首を上下に振っている。
「1時間より少し長いくらいなんじゃないんですかあ。『1時間』って言われるとキッチリした感じですけど、『弱』ってつくと、なんかこう、時間の輪郭が少しぼやけて、角が取れる感じがしません? 『まあ、だいたい1時間くらいで。ちょっとくらい過ぎても大目に見てね』みたいな、優しさを感じちゃうんですよね。だから、つい甘えちゃって、長い方かなって」
「甘えちゃうって……美桜さん……」
千夏が呆れたように呟く。美桜のマイペースな意見に、千夏の脳内は本格的な混乱に陥っていた。短いのか、長いのか。この場は、多数決なら完全に「長い」派が優勢だ。でも、自分の感覚は「短い」と叫んでいる。一体どっちなんだ。
そして、美桜のこの、悪気なく物事の焦点をずらしていく才能がいかんなく発揮され、次なる一撃が、千夏を襲う。
「それに、『じゃく』で言えば、『アルプス一万尺、小槍の上で』ですよ。あんなところで歌って踊ってなんてできるわけないじゃないですか。足場、猫の額ほどもない岩の上なんじゃないですか、たぶん。言葉のイメージって、あてにならないものですよね」
「ああ、それ、わたしも思ってた!」
まきが、左右に首を傾げながら、右、左と、肩をゆする。
「そもそも、アルペン踊りって何なんですかね?」
美桜も、まきの不思議な踊りを真似て、肩を回し始めた。
「さあ……?」
「そもそも、『じゃく』がいけないんですよ」
話を持ち出した美桜のまさかの一言に、まきがうっとりとした表情で言葉を返す。
「きっと、愛の奇跡なのよ。愛があれば、小槍の上でも舞踏会は開けるの」
「じゃあ、冷蔵庫の『切・弱・強』も愛の奇跡なんですかね。千夏さんも冷蔵庫の奇跡、信じます?」
美桜がひっぱる。
「え、冷蔵庫? 奇跡?」
まきと美桜の迷走に、千夏まで巻き込まれ始める。
「うちの冷蔵庫、『弱』がいちばん電気代かかるって、この前電力会社の人が言ってました。『弱』なのに、なんで『強』より高いんでしょう。言葉の矛盾ですよ、これは」
「それはきっと、『弱』の札をつけた妖精さんが、本当はものすごい頑張り屋さんなのよ。自分の力を隠しているの。奥ゆかしいのね」
美桜の疑問に、まきのメルヘンチックな解釈。千夏がそこに「はあ」と気の抜けた返事を返した、ちょうどその時だった。千夏の背後に、すっと影が落ちた。
「……終わったのか?」
低い声に振り返ると、腕組みをした雅也が仁王立ちになっていた。時計を見れば、きっかり1時間が経過している。作業は、まだ半分以上残っていた。
「あ、あの、これは……」
しどろもどろになる千夏に、雅也は深い深いため息を一つ吐いた。その視線が、3人の手元と残りの本の山とを、値踏みするように往復する。
「……わかった」
ぽつりと、雅也が呟いた。
「お前たち3人が3人とも、同じように作業を遅らせているということは、俺の指示に問題があったと、そう解釈せざるを得ないな」
あまの「じゃく」な言葉を予想していた千夏たちは、雅也の言葉に肩透かしに遭い、顔を見合わせる。雅也は忌々しげに舌打ちをひとつくれるのは忘れなかったが、こう続けた。
「紛らわしい言葉を使った俺のミスだ。だが、仕事は仕事だ。ブックフェアは待ってくれない。おい、鈴木。そこの分類はもっと大雑把でいい。真木さんはポップの色を3色に絞れ。菜箸、お前は俺と一緒にリサイクル本シールの確認だ。いいな、今から30分ですべて終わらせるぞ」
有無を言わせぬ指示は、いつもの高圧的な雅也のものだった。しかし、その声には不思議と、非難の色はなかった。彼はただ、最短で問題を解決するための最適解を叩き出しただけだった。
「……はいっ!」
千夏は、なんだか胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じながら、隣で黙々と作業を始めた上司の横顔を、盗み見た。眉間の皺は、いつもより少しだけ浅いような気がした。
(了)
作・千早亭小倉







