【登場人物】
氷上 静:現代思想家。ブックカフェ「シズカ」オーナー。あらゆる事象を論理と定義で解体しようとするが、小春の言葉には脆い。
中野 小春:ブックカフェ「シズカ」共同オーナー。静のパートナー。五感で世界を捉え、すべてを優しく受け入れる。
【場面設定】
雨の日の午後。ここあん湖のほとりに建つブックカフェ「シズカ」。店内には客はおらず、窓を叩く雨音だけが静かに響いている。

中野小春:ねえ、静さん。
氷上静:(カウンターで本を読みながら)うん、何?
小春:(窓ガラスを伝う水滴を見つめながら)雨って、ポツポツとかザーザーって降るじゃないですか。あれって、地面とか屋根にぶつかるから音がするんですよね。
静:ええ、そうね。落下する水滴が固体と衝突した際に生じる振動が、空気を伝わって音波となるのよ。媒質との衝突がなければ、私たちが知覚できる音は発生しないわ。
小春:じゃあ、雲から落ちてきて、何かにぶつかるまでの間は、ずっと音がしないってことですよね。
静:空気抵抗による微小な摩擦音はあるかもしれないけれど、人間の聴覚では捉えられないわね。それがどうかしたの?
小春:なんだか、雲からずっと無言で落ちてくるなんて、健気だなって思って。ぶつかった瞬間に、やっと「着いたよ!」って声を出しておしゃべりしてるみたい。
静:小春、それは典型的な目的論的倒錯よ。雨粒に意志はないわ。ただ地球の重力に従って、物理的に落下しているだけ。
小春:(ふふっと笑って)静さんも、お店のドアを開けるまでは無口だけど、ここに入るとたくさんお話ししてくれるじゃないですか。雨の粒と一緒ですね。
静:(ページをめくる手を止める)私と雨粒を一緒にしないで。それに、私は意味のない発声はしないわ。
小春:うん、知ってますよ。でも、私とぶつかると、いろんな音を聞かせてくれるでしょ?
静:(言葉に詰まる)……っ。
小春:(新しいコーヒーを淹れながら)ほら、今も「困ったな」って音が聞こえました。
静:(小さくため息をつき)あなたのその論理を無視した解釈には、いつもペースを乱される。
小春:雨の音、今日は優しいですね。静さんのコーヒー、淹れますね。
静:(本から目をそらし、窓の外を見る)そうね。悪くない音。
(幕)
作・千早亭小倉





