コントパターン:2「自己愛のすれちがい」
【登場人物】
おはなはん:FMここあんのミキサー担当。村随一の「常識人」。買い出し帰りで、長ネギの入った買い物袋を抱え、坂道の途中で休んでいる。
矢尾 玲子:自称「ステキさん」。あらゆる現象を自分への祝福と解釈する主婦。
朝霧 沙緒:小説家。あらゆる現象をアンニュイで美しい虚無と解釈する住人。
【場面設定】
はらほれ坂の中盤、踊り場にある木製のベンチ。中央におはなはんが腰掛けて汗をぬぐっている。上手(坂の上側)から日傘をさした矢尾玲子、下手(坂の下側)から気だるげな足取りの朝霧沙緒がほぼ同時に現れ、おはなはんを挟むように両隣へ腰掛ける。

おはなはん:(誰に言うともなく)ふう。この急な坂、買い出し帰りに登るには傾斜がきつすぎますね。
矢尾玲子:(おはなはんの顔を見ずに、空を仰ぎながら)「きつい」という言葉は、ステキさんの辞典には載っていないのね。この坂道は、ステキさんをより高いステージへ連れていくエスカレーターなの。私の額を伝う汗は、太陽がくれた天然の美容液。
朝霧沙緒:(玲子ともおはなはんとも目を合わせず、伏し目がちに)傾斜って、甘美な哀愁があって好き。坂を登る人の足取りには、いつか訪れる夕暮れの匂いがする。私の小説のヒロインも、古い石畳の坂道で立ち止まって、ただ風が髪を揺らすのを待っていたわ。たどり着かない目的地があってもいい。それは、ずっと詩的で贅沢な旅だから。
おはなはん:(左右を交互に見ながら)すごいですね。私はただ、ネギが袋から飛び出しそうだったから、慎重に歩くくらいなもので。
玲子:長ネギ! まっすぐで、凛としたフォルム。私も、常に背筋を伸ばして、立ち姿だけで周囲を明るく照らすって言われるのね。緑と白の鮮やかなコントラストが、南フランスの避暑地を思い出させる。
おはなはん:南フランス、いいですよね。よく行かれるんですか?
玲子:(答えない)
沙緒:紙袋から覗く淡い緑。日常の匂い。古い映画のラストシーン。夕餉のしたくをする誰かの横顔を想像する。かすかな夏風邪にかかったような心地よい気だるさ。生活の輪郭が夕闇に溶けていく時間。とても退屈で、愛おしい。
おはなはん:このネギにも、そんな深い物語があるのかしら。
沙緒:(答えない)
おはなはん:なんでだろ。喉が渇いちゃった。
(水筒のお茶を飲む)
玲子:なんていい香りなのかしら。お茶! 喉を潤す黄金のしずくね。ステキさんも毎朝、オーガニックの白湯を感謝の気持ちいっぱいに飲んでるのね。白湯は、私を内側から輝かせるために世界が用意してくれた、特別なギフトよ。
沙緒:喉の渇き。満たされない空白こそが、最も純粋な文学の始まり。私の短編でも、午後のカフェでグラスの氷が溶けていくのを、ただじっと見つめ続ける場面があるの。何かが失われていく静寂って、どんな饒舌な愛の告白よりも美しいわ。
おはなはん:あの、すいません。お二人とも、私の言葉を踏み台にしてどこへ飛んでいってるんですか。そのせいか、急に空が曇ってきましたし、夕立でも来るんじゃないですかね。
玲子:雨! 映画のヒロインは、急な夕立とだって友達になれる。『シェルブールの雨傘』のワンシーンのように。(急に主題歌を口ずさみだす)この日傘が雨粒を受け止めて、私をさらに輝かせる瞬間を、世界中の観客が息をのんで待っているのよ。
おはなはん:えっ、女優さん?
玲子:(答えない)
沙緒:雨。灰色の空が静かに地上へ降りてくる。気配。傘もささずに濡れた坂道を歩くとき、人は誰の所有物でもない自由を手に入れるの。冷たい雫が頬をつたう気だるさ。ステップを踏もう! 雨粒と踊れば、悲しみもいつか消えていくから。
おはなはん:ダンサーさん?
沙緒:(答えない)
玲子:私の圧倒的な輝きを際立たせるための、最高の背景になってちょうだい!
沙緒:光なんて届かない、深い藍色の黄昏。孤独を美しく縁取るための淡い陰影。
玲子:私という主役を引き立てる影!
沙緒:誰にも理解されないすれ違いこそが真実。
玲子:高台のサロンへ急がなくちゃ。ステキさんを輝かせるためのあの場所へ。ごきげんよう!
(玲子、満足そうに立ち上がり、優雅に坂の上へと歩き去る)
おはなはん:え、坂を下りてきたのに、戻るの?
沙緒:完璧に噛み合わない退屈な時間。部屋に戻って、レコードの針の音でも聴きながら微睡むとするわ。最高に贅沢なエピローグ。
(沙緒、深く息を吐き、静かに立ち上がって坂の下へと歩き去る)
おはなはん:え、のぼってきたのに、戻る……。(呆然と左右の空席を見比べ、お茶をもう一口飲む)雨も来ないでくれそうだ。(ネギに顔を寄せ)帰ろうか、120円の君。
(おはなはん、買い物袋を持ち直し、首をかしげながら立ち上がる)
(幕)
作・千早亭小倉






