【登場人物】
緑野 翠:ここあん村村長。理想主義でやり手だが、都合の悪いことは「てへっ」で誤魔化す。
恋流波 東彦:よく日常の些細なことに回文や顔を見つける、映画好きのぽんこつおじさん。
徒 然士:ここあん大学日本文学科講師。完璧な様式美を信奉する文芸評論家。
【場面設定】
夕方の喫茶「小古庵」。カウンター席。恋流波東彦はホッピーのグラスを前にし、徒然士は古書を開いている。緑野翠はカウンターの端で、スマホの画面をながめている。

緑野翠:(スワイプする手を止め、画面をじっと見ている)『南田南弁護士は天才肌』? ネトフリで大ヒットした韓国ドラマの日本版が作られるんですって。
徒然士:ほお、「みなみだみなみ」とな。それは、村長も気が気じゃないでしょうな。
翠:私は関係ないでしょう?
徒然士:いや、上から読んでも「みなみだみなみ」、下から読んでも「みなみだみなみ」。完璧な対称性、まさに様式美の極致。それに比べてあなたの……。
恋流波東彦:(引き取って)ああ、確かに。それは、村長、気が気じゃない案件だ。
翠:だからなんでよ。
徒然士:そう目くじら立てずに。自分の「ミドリノミドリ」というアイデンティティが脅かされるのではないかと、その気持ちはわかる。
翠:なんで私がまだ始まってもいないテレビ番組を意識しなきゃいけないのよ。私を、自意識のお化けみたいに言わないでよ。
東彦:と言いながら、明日あたりペンタに行ったら、「元祖! 上から読んでもミドリノミドリ」って垂れ幕がかかってたりして。
翠:そんな無駄な予算は通さないわよ。私の名前を知らない住民は、ここあん村にはいないんだから。そんなことより、私が気にしてることがあるのよ。
徒然士:別のこと? この流れで、回文以上に面白い話かな?
翠:面白いかどうかなんて知らないわよ。あのね、この村、色の付いた名前が多すぎない? 劇団の赤井葵でしょう? ジャズバーの青野音。茜って児童文学者もいるわね。あと、今日はいないのかしら、ここでアルバイトしてるキイロちゃん。というか、なんでこの店、いつも客しかいないのよ。
徒然士:なんだ、そんな話か。やはり村長としては話題を変えたいということか?
翠:そんな話って、失礼な。いいわよ、じゃあ、あなたたちが大好きな、対称性の様式美とやらについて話を続けようじゃないの。まず、あなたよ。(東彦の前のカウンターを翠がバンと叩く)あなた、なにとぼけた顔して座ってんのよ!
東彦:(ちょっとビクッとして)な、何か私に落ち度でも。
翠:わかってるくせに、とぼけないでよ! これだから、昭和生まれはいやよ。あなたの名前、「こひるははるひこ」って、完全な回文になってるじゃないの! おまけに「東」なんて、方角の漢字まで名前に入ってるくせに。南田南を意識するのは、あなたのほうでしょう?
東彦:まあ、平仮名にするとそうなりますし、確かに「東」って字も入ってますね。
翠:ふん、モブキャラがえらそうに!
東彦:モブって……。そりゃ、村長からみたら、村民は全員モブでしょうけれど。私だって、何か狙って、この名前じゃないですからね。
翠:主役の私が、下から読んだら「リドミノリドミ」で苦労してるっていうのに、モブがどさくさに紛れて綺麗な対称性を手に入れてるなんて、生意気よ!
徒然士:村長とは思えない発言。そんな、メタな話ではなくてだな、回文といえば、やはりルイス・キャロルの系譜、あるいはスタンリー・イェルナッツへと、話を広げていけないものかね。
翠:知らないわよ、どっちも。
徒然士:知らない? ルイス・キャロルを知らないのはさすがに人としてまずいんでは?
東彦:スタンリー・イエルナッツって、あの穴を掘る映画の主人公ですね。S-t-a-n-l-e-y-Y-e-l-n-a-t-s。綴りを逆にしても同じになる。すごいですね。
徒然士:そう、そう。様式美の極みだ。それに比べて、われらが鏡の国の村長さんの回文は「リドミノリドミ」という、いびつななりそこない。
東彦:まあ、それも含めて、村長のキャラですから。
翠:何よ、キャラって。このモブ!
東彦:(東彦、あまり気にしていない。持ち上げようとしたグラスが、東彦の手からすべり落ちそうになる)おっと(間)ああ、いまの「おっと」も、英語にしたら回文ですね。o-t-t-o。
徒然士:われわれは、知らぬ間に対称性の牢獄に囚われてしまったのかもしれないな。
翠:牢獄ですって? 勝手に牢屋に入ったのはそっちでしょう? 南田南とかいう弁護士に助けてもらいなさいよ。
東彦:(無視)世界は意外と回文に満ちているなかもしれない。
翠:満ちてないわよ! 私が何よりの生き証人よ。あなたの「おっと」なんて、ただのこぼしかけの言い訳でしょう? いや、違う。あ、ちょっと待って。
徒然士:どうしました。
翠:そうよ、この南田南のほうが私を意識してるんじゃない? ほら、私の緑野も翠も「み」で始まるでしょう。この南田南も「み」で始まるじゃない。南田も南も。
徒然士:みなが飽き始めたころに、一周遅れで話題に追いついてくるとは。それも、その程度のことをさも大発見のように。
東彦:その弁護士もドラマの中で決め台詞とかあるんですかね? 村長の「テヘペロ」みたいな。
翠:私のは「てへっ」よ。これは、私の特許だから。
徒然士:特許のわけないだろう!
翠:てへっ。
徒然士:それに、テヘペロなんてする弁護士がいたら、法廷の尊厳が丸ごと溶ける。ちょんまげ生えるわ。
翠:はぁ(ため息)ねえ、それより、私が頼んだオムライスまだなのかしら?(カウンターの奥に声をかける)ねえ、まあだあ?
東彦:(つぶやく)まあだあ? まあだあ?(何かひらめく)ああ、それなら、レッドラーム。
翠:レッド? 赤じゃないわよ、私は翠。緑野翠。でね、色の名前のことだけど。
徒然士:(割って入る)レッドラームか。あれは怖かった。
翠:だから何なのよ。
(そこに奥から、東山キイロが「オムライス」とケチャップを持って登場)
キイロ:おまたせしました。特製オムライス、キングサイズです。
翠:黄色がやっと来たわ。
徒然士:キングと来たか。
東彦:来ましたねえ。
翠:黄色よ。キイロちゃん。ねえ。おじさんたちったら、いやねえ。
キイロ:(ケチャップを手に)何かお好きな絵とか描きましょうか?
徒然士:ああ、それなら私が書こうじゃないか。
(徒然士、キイロからケチャップを受け取り、翠の前のオムライスに器用に筆記体でアルファベットの文字を書く)
翠:なに、これ。r-e-d-r-u-m? これが、レッドラムなの? ここのオムライスは、チキンよ。
徒然士:やれやれ……っどらーむ。
東彦:それでは、ごちそうさま……あだあ、と。
(幕)


