【登場人物】
はるひこ:長男。10歳。国語辞典の例文を読むのが大好き。
なつひこ:次男。5歳。「らっら、らっら」と言っている。
みちこ:はるひことなつひこの母。主婦。くたびれている。
【場面設定】
昭和47年あたり。小田急線・祖師ヶ谷大蔵駅近くの商店街。
(はるひこが、なつひこと手をつないで、みちこのところにやってくる)
はるひこ:(岡っ引きのマネ)ふんづかまえてきやしたぜ。(少し息が上がってる)
みちこ:あんたが、ちゃんと見てないから。ころんだりしてない?
はるひこ:なっちゃん、ぴょんぴょんしながら、だれにもぶつからないんだよ。すごいね。
(電信柱に立てかけられた看板に「不審者に注意」の文字)
はるひこ:(みちこに)これ、なんて書いてあるの?
みちこ:「フシンシャニチュウイ」よ。
はるひこ:(知ったかぶり)ああ、「フシンシャ」ね。
みちこ:わかってるの? 怪しい人のことよ。
はるひこ:「怪しい」? (目を輝かせて)『仮面ライダー』の……。
みちこ:(みなまで言わせず)違うわよ。それも怪しいけど、怪人はこんなところにはいないでしょう?
はるひこ:ウルトラマンはいるよ。
みちこ:(それには応えず) 「フシンシャ」ってのは、様子が変で、昼間からフラフラしてたりとか。
はるひこ:お母さん?
みちこ:ほら、もう行くわよ。(ふらつきながら、歩き出す)
なつひこ:らっら、らっら。
はるひこ:(振り返りながら、「審」の字を指さして)じゃあ、あれが、「シン」? 「審」ってなーに?
みちこ:え? そうよ。『スター誕生』の審査員の「審」よ。
はるひこ:(もう一度、看板のほうを振り返り)じゃあ、不審者はスターじゃない人か。
みちこ:(うんざり)ほら、歩いて。審査員はスターじゃないでしょう?
はるひこ:じゃあ、不審者はスター? 「不」は「じゃない」ってことだから。お母さんが好きな、流し目の人たちも不審者? 『大江戸捜査網』の。
みちこ:杉良太郎は不審者じゃないわよ。杉良太郎や『必殺』の林与一は怪しくてもいいのよ、テレビだから。
なつひこ:らっら、らっら(耳元で指をシャリシャリならし、ニヤニヤしている)。
はるひこ:(すごい発見をしたかのように)お母さん、なっちゃんも、流し目してる。なっちゃんも……。
みちこ:(みなまで言わせず)大きい声出さないで。なっちゃんはなっちゃんでしょう。
はるひこ:僕は、観察や例文が好きだから「審」? 「審者」?
みちこ:「シンシャ」? ああ、「審者」なんて言葉、ないわよ。あんたはひっつき虫でしょう。ほら、「マヨナンロール」落とさないでよ。
はるひこ:(パン屋の袋を持ち直し)「不審者」はあるのに、「審者」はないの?
なつひこ:(はるひこの手をほどこうとする)いっ、いっ。
はるひこ:(なつひこに)おなかすいた?
(はるひこ、なつひこにパン屋の袋を持たせる)
みちこ:(誰に言うでもなく)足がだるいわ。
はるひこ:(ふざけて、なつひこに)なっちゃん、君は不審者ですか?
なつひこ:だっ。
(なつひこがはるひこの手をほどき、横向きにぴょんぴょんと走り出す。パン屋の袋がぶるんぶるん揺れる)
はるひこ:あ、不審者、逃亡!
(まわりの人が、はるひこのほうを見る)
はるひこ:隠密同心、マヨナンロールを取り返すのだ!
(はるひこも、なつひこの真似をして、横向きになって変な走り方で追いかけていく。なつひこは器用に人混みを抜けていく。はるひこは、ぶかっこうに人にぶつかってこける。まわりの人に助けられ、ようやく、はるひこが、パン屋の袋を手に、なつひこを連れて戻ってくる)
はるひこ:ふんづかまえて……。
みちこ:(みなまで言わせず)あんた、隠密が目立ってどうすんのよ。
(三人で帰路につく。はるひこ「隠密同心心得の条」をぶつぶつ言っている)
(幕)
作・千早亭小倉



