【登場人物】
いときち:ガールズバンド「栗きんとん99」のギター。情熱的で喧嘩っ早い。
ショパン:音楽理論で世界を解釈する高校生。おっとりとしたお坊ちゃん。
平泉 慧:理論物理学を専攻する大学院生。究極の省エネ主義者。
【場面設定】
秋のはじめの夕暮れ時。はらほれ坂の中ほどにある、凄まじく座り心地のいい木製ベンチ。

いときち:ああ、もう。なんで新曲のギターとベースのハモリ、私とべんべんで合わせると、あんなにズレちゃうんだろ。
ショパン:ふむ、それはおそらく、テンポの問題ではなく、お互いの音の「分配」が上手くいっていないのですよ。
いときち:分配? また、難しいこと言うつもりでしょう?
ショパン:ええ。いえ、いいえ。アンデスのサンポーニャという笛には、ホケトゥスという奏法がありまして。音階が2つの管に1音飛ばしで分かれているのです。
いときち:ほら、難しい。えっと、よくわからない。音階がどうしたって?
ショパン:大雑把に言えば、ド・ミ・ソをいときちさん、レ・ファ・ラをべんべんさんが受け持つみたいなものですね。
いときち:バラバラっていうか、できるのそれ?
ショパン:だからこそ、2人1組になって、1音ずつ交互に息を吹き込んでひとつのメロディを作るのです。
いときち:交互に音を出すなんて、ギターとベースのハモリの勢いが死んじゃうよ。
ショパン:聞いてみます?
(ショパン、スマホを操作して、イヤフォンをいときちの耳に刺す)
いときち:(ショパンの操作中)ふふ、ショパン相手だと全然ロマンチックじゃないね……って(音が出た様子)え、これがそう? 結構すごいんだね。アンデス、やばい。
ショパン:お互いに足りない音を補い合う、共同体の美しい調和そのものですよね。
いときち:でも、これは逆に無理だわ。面倒っていうか、べんべんとこれ(イヤフォンをこんこん指で弾く)演ってる姿、イメージできない。
(そのとき、ベンチの端で絶対静止していた平泉慧が口を開く)
平泉慧:そのサンポーニャとやら、熱力学的に著しく不合理。
いときち:あ、ここあん大学の人ですよね。いつからそこにいたんですか。
慧:最初からよ。何が最初かは面倒だから言わない。エネルギー保存のため、呼吸以外の運動を停止していたの。
ショパン:で、大学の人、その「不合理」とは。
慧:2人でひとつのメロディを作るために、交互に音を出すなんて、運動エネルギーの明らかな分散よ。ひとりが音を出している間、もうひとりは待機しているとしたら、変換効率が悪すぎる。
いときち:でも、そうしないとあの2重のハモリの響きにならないんですよ、きっと。
慧:それなら、こうすればいい。最初からひとりが同時にふたつの音を出すの。ええと、モンゴルの倍音唱法や、ギターの重音奏法のように。
ショパン:ホーミーやダブルストップですね。
慧:そう。基本となる音を出しながら、同時に別の音階や倍音を響かせる。ひとりふた役。これなら人員コストは半分。極めてエレガントな省エネシステムだわ。
いときち:いや、ひとりでハモリまで演奏しろって言われても、曲の間ずっとギター1本で2人分の音を表現するなんて限界ありますよ。だいたい、そんなのどうやってやるの。
慧:歌うなら喉の共鳴で倍音を制御するけれど、弦楽器だったら倍音奏法や特殊な指使いで共鳴させればいいわ。
いときち:いいわって、そんな簡単に。
慧:西洋の倍音歌唱の理論を応用すれば、一つの楽器で同時に二つの音を制御できる。ん? 弦楽器でも同じようにできるのかしら、知らないけど。
いときち:知らないんか。
ショパン:大学の先輩。ホーミーのあの力強い低音やサンポーニャの響きは、自然の模倣や共同体の調和から生まれたことも重要かと。
慧:調和。その非科学的な目的関数のために、個体が無駄なエネルギーを消費するなんて、やはり非効率の極みね。
いときち:あの、物理の話はよくわかんないですけど。ひとりで全部ハモリまでやっちゃったら、バンドのメンバーがいらなくなるじゃないですか。私はべんべんやたたこと、みんなで音を合わせるから楽しいのに。
慧:楽しさ……。それは脳内の化学反応がもたらす一時的なバグよ。そんなあやふやなパラメータのために、総重量を増やして機材車に何人も乗せるなんて、車体重量が増えてガソリンの消費効率が悪化するだけの無駄遣いだわ。最初からひとりで移動すれば、移動エネルギーは何分の1かで済むのに。
いときち:まあ、言ってる意味は1割も分かんないけど、うちのバンドは絶対にひとりではできないから。
ショパン:(手帳に万年筆を走らせながら)ふむふむふむ。大学の先輩の言う「重量と摩擦」のなかにこそ、いときちさんたちが協力して奏でる音楽の余白があるんですよ。
慧:ふん、非合理な集団ね。熱伝導率の悪い金属塊を見ている気分だわ。
ショパン:ふむ、それもまた、一つの美しい摩擦ですね。
(幕)
作・千早亭小倉






