【登場人物】
黒崎 文:ここあん高校文芸部部長。文学至上主義者で罵倒系 。言葉へのこだわりが異常に強い。
神崎 一樹:同文芸部員。人間の行動をデータとして分析する癖がある。
天野 光:一樹のクラスメイト。快活な全肯定ガール。
氷上 静:ここあん湖畔のブックカフェ「シズカ」のオーナー。冷静な批評を持つ。
【場面設定】
ブックカフェ「シズカ」。店内には静かなジャズが流れている。神崎一樹と天野光がテーブルで参考書を広げている。

(店のドアが開き、黒崎文が不機嫌な顔で入ってくる。そのまま一樹たちのテーブルにドサリと鞄を置く)
黒崎 文:最悪だ。あの脚本家は、日曜朝のトーストに塗られたマーガリンの匂いを知らない。
天野 光:(顔を上げ)あ、黒崎さん! マーガリン? 美味しそう! 私バターより好きかも。
神崎 一樹:(ペンを止め、分析するように)なるほど。日曜朝のトーストに塗られたマーガリン。それは「安易で画一的な幸福」のメタファーか。つまり、その脚本家は、ありふれた日常のディテールを描く筆力がない、と?
文:(一樹を睨み)違う。単純に、昨日のドラマの主演俳優の顔が、冷蔵庫から出したてのマーガリンみたいに、ぼんやりと生温かっただけだ。
一樹:(小さく)生温い……? マーガリンは通常、冷たいものだが……。
光:あ、わかる! トーストに乗せるとすぐ溶けるよね、ヤツ(マーガリン)は!
文:(光を無視し)だいたい、あのクライマックスが許せない。「僕は、行かなくちゃならないんだ」? 噴飯ものだ。なぜあそこで「俺の右足が、アスファルトに落ちた蝉時雨のシミに飽きたと言っている」と書けない?
光: え? 足がしゃべるの? すごい! ファンタジーだ! 腰も笑うしね。
一樹:膝ね、それ。(再び分析)「蝉時雨のシミ」は「過ぎ去った焦燥感の残滓」。「アスファルト」は「動けない現実」。つまり「過去のトラウマを抱えた現実からの脱却」という内面の吐露か。見事な表現だ。
文:(忌々しげに)お前は、いつもそうだ、一樹。言葉をピンセットでつまんで、バラバラにする。それは解体だ。お前の分析は、日曜のデパートでやってる冷凍マグロの解体ショーだ。
一樹:(ムッとして)マグロ? なぜそこで唐突に魚類が……? 部長の比喩は論理が飛躍しすぎている。
光:あ、私、昨日マグロ丼食べたよ!
文:あの脚本家はマグロですらない。イワシだ。
一樹: イワシ……? 青魚はDHAが豊富であるし、褒め言葉か?
(そこまで言うと、カウンターの奥から、冷ややかな声が飛んでくる)
氷上 静:……お客様方。当店、マグロ丼もイワシの塩焼きも扱っておりません。ですが、本日のキッシュは「ノルマンディ風」です。
文:(静をカッと睨み)ノルマンディ……? いい響きだ。あのドラマの主人公は、決戦前夜のノルマンディの砂粒にすらなれない。
一樹:(小声で)砂粒は、なろうとしてなるものじゃない。ただ、そこにあるだけだ。存在論的な問題で。
光:(目を輝かせ)ねえ、ノルマンディ風キッシュって、どんな味? バターとマーガリン、どっち使ってるのかな?
(文はこめかみを押さえ、一樹はノートに「砂粒=存在論」と書き込む。静は、注文されていないので、黙ってカウンターを拭いている)
作・千早亭小倉







