【登場人物】
渡良瀬 愛子:活田地区の居酒屋「ここきた」ママ。すべてを受け入れるが、受け入れられないものもある。
緑野 翠:ここあん村村長。区画整理を進める効率主義者。
鉄 美鈴:ここあん鉄道職員。住所変更に伴う業務の増加に追われている。
黒霧島 雄:ライブハウス「ガーデンガガガーデン」オーナー。
【場面設定】
昼下がりの居酒屋「ここきた」。仕込み中の店内。愛子がカウンターで大量のごぼうの乱切りをしている。そこへ、書類の束を抱えた緑野翠と、青白い顔の鉄美鈴が入ってくる。

緑野翠:愛子さん、仕込み中ごめんなさいね。今日は行政のトップとして、大事なお願いに来たの。
渡良瀬愛子:(包丁を動かしながら)あら、村長が直々に? 寄付金なら先月お支払いしましたよ。
翠:お金の話じゃないわよ。この「ここきた」と、すぐ下の「大学前駅」の住所についての相談よ。
愛子:住所? 活田地区369だけど。
翠:そう、それ。あのことで活田地区はほとんど湖の底に沈んじゃったじゃない? 今、実質的に地上に残って機能しているのは、このお店と大学前駅だけなの。行政のシステム上、たったふたつの施設のために「活田」という区画を残しておくのは非効率なのよ。
鉄美鈴:(翠の後ろからひょっこり顔を出し、震える声で)ですから村長……、駅の所属区画が変更になれば、駅名標から運賃計算システム、定期券の発券プログラムまで、すべて書き換えが発生します! これは重大なインフラの危機です!
翠:駅名標?
美鈴:駅の名前が書いてある標識です。ホームにありますよね。
翠:駅の名前は変えないわよ。ちょっと待って、「大学前駅」は「旧大学前駅」にしろってことね。
美鈴:ち、違います。私は、何も言っていません。
翠:いいわ。美鈴さん、落ち着いて。システムは更新すればいいのよ。要は、来月からこの周辺を正式に「小古庵地区」に編入するってことで! てへっ。
(愛子の包丁が、まな板の上でピタッと止まる)
愛子:村長。ここに入ってきたとき、「相談」って言いましたよね。今のは、「命令」じゃないんですか?
翠:命令ではなくて、「報告」です。
愛子:報告。小古庵に編入。「活田」って名前がなくなるってことですか?
翠:そうね。郵便物も「小古庵何番地」になるわ。
愛子:(包丁を置き、前掛けで手を拭う)却下します。
翠:へ?
愛子:システムがどうとか、効率がどうとか知りませんけどね。活田の名前は消させないわ。
翠:愛子さん、あなた「すべてを受け入れる」のが信条じゃない。新しい住所も寛大に受け入れてちょうだいよ。「てへ!」の精神よ。
愛子:受け入れるからこそよ。活田が小古庵になっちゃったら、毎晩のように路地裏で馬鹿やってた連中の活気が帰る場所がなくなるじゃない。活田には活田の熱があるんだから。
美鈴:あ、愛子ママの言う通りです! 駅の所在地データが書き換われば、私のこれまでの指差し確認の履歴も無効化されます! 活田地区大学前駅、安全ヨシ! これが私のアイデンティティなんです!
(美鈴が空に向かって力強く指を突き出す)
翠:アイデンティティって……。でも、もう決定事項なの! システム更新の予算だって通したのよ。(店の時計を見る)あら、もうこんな時間だわ。また来るから。覚悟、決めといてね。
(美鈴を伴い、翠が店から出ていく。それと入れ替わりに、ライブハウス「ガーデンガガガーデン」オーナーの黒霧島雄が入ってくる。手に郵便物)
黒霧島:なんだよ、外まで村長の金切り声が響いてたぜ。うちのスピーカーのツイーターが飛ぶ勢いだ。愛子ちゃん、もめごとかい?
愛子:ああ、雄さん。活田を小古庵に編入するっていうのよ。
黒霧島:な、なんだって……!(愕然)
愛子:びっくりよね。活田でいまお店をやってるのが私のところだけで、あとは駅しかないから、小古庵に入れちゃえ、てへぺろですって。もう、許せない。
黒霧島:ゆ、許せない……というか、おい、ちょっと待てよ愛子ちゃん。
愛子:ん、どうしたの、そんな怖い顔して。そこまで怒ってくれなくてもいいのよ。
黒霧島:違うよ。うちのハコも住所は活田だぜ。村長の頭の図面はともかく、愛子ちゃんの頭からも、俺の店、綺麗にイコライジングされて消されてたってわけか。
(愛子、絶句して固まる)
黒霧島:(大笑い)いいんだ、いいんだ。というか、活田が小古庵に編入なんて、どうでもいいんだよ。
愛子:どうでもいいって?
(黒霧島が手にしていた郵便物を愛子に渡す)
黒霧島:表のポストから落っこちてたから持ってきてやった。
愛子:ありがとう。(郵便物の宛名を見る)「ここあん村 ここきた様」?
黒霧島:それで届くんだから、住所なんてどうでもいいさ。
愛子:ま、ここあん村だからね。それでも、名前がなくなっちゃったら寂しいじゃない。
黒霧島:そりゃそうだな。村長が当てにならない以上、俺たちが「不屈の伝承者」として、「活田」の名前を残していくしかないな。
愛子:そうよ、私たちが、活田の「希望の灯火」になるのよ。
黒霧島:俺のこと、すっかり忘れてたけどな。活田の「未来への架け橋」、渡良瀬愛子!
愛子:活田の「生きた遺産」、黒霧島雄!
黒霧島:明日へのバトンをつなぐ者、愛子! 俺は、バトンじゃなくてバンドをつなぐぜ。
(そこに鉄美鈴が戻ってくる)
鉄美鈴:わ、わたしも入れてください。
黒霧島:お、いいねいいね。「歴史の証人」駅員さん!
鉄美鈴:(指を真っ直ぐに突き出し)「歴史の証人」鉄美鈴、ヨシっ!
(その後も、3人で、「継承者」「受け継ぐ者」「語り部」など、延々とネーミングを付け続ける)
(幕)
作・千早亭小倉






