箱庭コント241「どこまでもプリン」
(あらすじ)ここあん村の劇団「かもかも」の座付き作家の文芸評論家徒然士が、公民館の稽古場で万年筆を手に腕を組み、ラジオコントの壮大な構図を構想している。ライターのおはぎはんが、「どうでもいいケンカ」というお題に対し、一個のプリンの不在を巡る深刻な悲劇ばかりを熱弁する徒然士へ、またプリンネタかと呆れてツッコミを入れる。
箱庭コント242「またプリン」
(あらすじ)FMここあんのミキサーおはんはん(宏原こはな)が、スタジオの休憩スペースで、冷蔵庫に入れておいた私物のプリンを勝手に食べた妹のライターおはぎはん(宏原こはぎ)を腕組みしながら詰問している。おはぎはんは、これは村の動態を調べるジャーナリズムであり、残したカラメルこそがプリンの哲学だと突然の標準語で開き直って持論を展開する。
箱庭コント243「もしもこの袖七分なら、切った余りはどこにある」
(あらすじ)ここあん村の劇団「かもかも」の座付き作家徒然士が、稽古場で演出家の鴨下留美子に対し、書き上げたばかりの1983年の原宿を舞台にした青春群像劇を自信満々に披露。劇団員の南花おちばが、その設定が現在放送中の三谷幸喜の最新ドラマと舞台や時代設定まで酷似していると恐る恐る指摘し、作家のプライドに水を差す。
箱庭コント244「もやもや文学解体ショー」
(あらすじ)ここあん高校の文芸部部長黒崎文が、湖畔のブックカフェ「シズカ」の席に鞄を叩きつけ、前夜に観たドラマの主演俳優の顔や台詞が生温いと独特な比喩を用いて憤っている。部員の神崎一樹が、文の感情的な酷評を安易な幸福のメタファーやトラウマからの脱却の意図だと勝手にデータ化し、的を外した冷静な分析を仕掛けてくる。
箱庭コント245「挨拶の現象学的還元」
(あらすじ)現代思想家で、ここあん湖畔のブックカフェ「シズカ」店主の氷上静が、駅のホームで文庫本を広げ、ラッシュの引いた穏やかな時間の中で静かに読書に耽っている。元教え子のここあん大生恋流波陽が近づいて挨拶を交わす。陽は、静が思想家なのに挨拶は意外と普通なのだとからかい、朝の挨拶に潜む本質的構造について静の哲学的な思索に火をつける。
箱庭コント246「湖と池と沼の存在論」
(あらすじ)ここあん湖畔のブックカフェ「シズカ」店主の氷上静と共同オーナーの中野小春が、秋の穏やかな午後にテラス席でお茶を飲みながら、目の前に広がる水面を静かに眺めている。文芸評論家の徒然士が不機嫌そうに現れ、目の前の水域を安易に湖と呼ぶのは不適切であり、水深や生態系から見て池か沼と呼ぶのが様式美として正しいと議論を吹っ掛けてくる。
箱庭コント247「穴のない氷」
(あらすじ)ジャズバー「サウンドブルー」のカウンターで、ピアノの微細なミスタッチを鋭く見抜くここあん高生のショパン。同級生のリリカは、その失敗を人間的で滑稽だと面白がり、安部公房の小説を引き合いに出して「氷の穴が塞がれば水位が上がって溺れる」と煙に巻こうとする。
箱庭コント248「静寂を巡るディソナンス」
(あらすじ)ここあん高校、放課後の図書室。窓際の席で、文芸部部長の黒崎文が真剣な表情で分厚い本を読みふけっている。隣のクラスの矢尾リリカが向かいの席に音もなく座り、計算問題のBGMとしてイヤホンを装着しようとしたため、文から神聖な静寂を汚す騒音の持ち込みだと鋭く咎められる。
箱庭コント249「昼休みの墓碑銘」
(あらすじ)ここあん高生のリリカと文学少年のケニーが、昼休みの図書室でそれぞれ海外文学の本を静かに読みふけっている。文化祭実行委員のカリソメ君が駆け寄り、クラス企画をチュロスかアサイーボウルの二択から決めたいと提案するが、リリカたちから思考停止の甘い支配だと冷笑され、難解な文学的諧謔で翻弄される。
箱庭コント250「カツカレーの心理学」
(あらすじ)フリーランスの恋流波東彦が、ここあん村の喫茶店「小古庵」のカウンター席で、運ばれてきたカツカレーの気泡と福神漬けの配置を人の顔に見立て、知人の悲哀が漂っていると写真に収めている。隣席に座る元研究員の新浪いちごが、単なる物質の配置を顔と錯覚しているだけだと切り捨てつつも、感情モデルの実験対象として興味を示し始める。
箱庭コント251「フルカウント肉団子」
(あらすじ)ここあん大学講師の徒然士が、居酒屋「あちこち」のカウンターで熱燗を注文し、言葉を途中で切り落として短縮する若者たちの風潮は言語への冒涜だと憤っている。隣席のライターおはぎはんが、言葉は使いやすく変化するものだと宥めつつ、野球の「ボール」も元は「アンフェア・ボール」の省略だと豆知識を披露して議論を白熱させる。
箱庭コント252「ひとりで2人」
(あらすじ)夕暮れのはらほれ坂のベンチ。ガールズバンド「栗きんとん99」のギタリストいときちが、新曲におけるギターとベースのハモリがずれてしまう悩みを、ここあん高生のショパンに打ち明ける。端に座っていたここあん大学院生の平泉慧が、2人で交互に音を出すのは熱力学的な無駄だと切り捨て、ひとりが同時に二つの音を出す省エネ奏法を導入すべきだと口を挟む。
箱庭コント253「20枚の攻防戦」
(あらすじ)脚本担当のえんぴつが、シェアハウスのリビングで家賃の支払期日を迎え、大人の貯金箱と称して700枚もの十円玉が詰まった重い空き瓶を差し出す。映像編集担当のハサミが、同一硬貨の支払いは一度に20枚までという通貨法の規定を持ち出し、法律上の受け取り義務がないと正論を突きつけて頑なに受領を拒絶する。
箱庭コント254「要するにノート」
(あらすじ)ここあん湖畔のブックカフェ「シズカ」店内。フリーライターのおはぎはんが、前夜に居酒屋で目撃した店主と客の取っ組み合いから和解に至る泥臭い人間ドラマを熱っぽく語っている。ここあん大学講師の三成ミツヒデが、15分に及ぶ熱弁を「雨降って地固まる」とあっさり一言に要約し、不要な感情を排除してデータ保存するのが効率的だと反論してくる。
箱庭コント255「ページの草原に舞い降りる」
(あらすじ)フリーランスの恋流波東彦が、居酒屋のカウンターでホッピーを飲みながら、好きな本の終盤でページを繰る手が重くなる感覚や、時間を自分の意思で引き延ばす愛おしさを語っている。そこへ文芸評論家の徒然士が、制約と抵抗が合致した様式美だと深く感銘を受けるが、東彦から老眼と睡魔によるものだと落とされて憤慨する。
箱庭コント256「レモネード人生」
(あらすじ)映画監督志望のここあん大生岸辺義道が、自主映画サークル「アーヌエヌエ」の部室で絵コンテを広げ、決闘シーンは荒涼とした大地で男同士の魂がぶつかり合う神聖な空間として描きたいと熱弁を振るっている。サークルの後輩遠藤薫子が、その構想がありきたりな定型文だと一刀両断し、チェコスロバキアの西部劇「レモネード・ジョー」を引き合いに、既存の美学を解体しにかかる。
箱庭コント257「ここあん大学にも学長いたんだもん」
(あらすじ)ここあん大学日本文学科講師の鍋島潤が、喫茶「小古庵」のカウンター席で、同僚講師の徒然士に対し、自分たちが勤める大学の学長の名前を知っているかと問いかけている。徒然士が、白髪に葉巻の威厳ある老爺という勝手な学長像を語るが、鍋島から現学長が28歳の若き女性だと明かされ、秩序が崩壊したと激しく取り乱す。
箱庭コント258「円のとじ目」
(あらすじ)ここあん高生のジカクが、道端で落ち葉を眺めていたここあん大学の講師空野円に駆け寄り、拾い上げた十円玉を昨日食べた唐揚げの骨ではないかと大真面目に見せている。空野円は、ただの金属の円盤に過ぎず物質としての同一性も意味もないと冷静に諭すも、ジカクからフライパンの蓋や調理の文脈へと飛躍されて翻弄されていく。
箱庭コント259「魂が足りない!?」
(あらすじ)ここあん高校文芸部部長の黒崎文が、部室で部員から提出された原稿を読み、追跡者に迫られる緊迫した場面なのに主人公に恐れの感情がなく、魂が抜けた操り人形のようだと酷評。部員の堂島巧は、主人公の前傾姿勢や視線の描写に触れ、魂という抽象論ではなく身体的反応が欠落している物理的エラーだと補足してくる。
箱庭コント260「緑の大合唱」
(あらすじ)ここあん大学の中庭で、理論物理学専攻の大学院生平泉慧が、自販機へ炭酸水を買いに行くため、カロリー消費を最小限に抑える完璧なルートを模索している。そこへ同席する古生物学専攻の花野環奈が、生い茂る草むらの匂いは植物が外敵を警戒する情報戦の兆候だと生物学的な知見を交えて警告し、慎重な前進を促してくる。



